心はどのような在り方であってもいい。
と、されている。
人は誰でも、自分で選んで、決めていい。
しかしいつからか、大多数が自分自身で決定することを恐れるようになったと見受けられる。
(誰かの言ったとおりにする方が安心らしい)
人間としての魂を、すでに無くしているのか。例えるなら人形。のようだ。
今、人間の殆どは社会に縛られ、お金に縛られ、端末に縛られ。
人は使われている。
血のにじむような代償を支払いながら。機械(ガラクタ)を最新式に買い替え使われ続けている。
。。。
うちは何のために、
端末の電力*通信コストの激減方法を探求してたんだろ。
未来の社会構造のため?
もうぶっこわれてるのに???
。。
囚われていたのは、自分自身だとも感じる。
最初から、そんなものは必要ない。と思えたなら、もっと違う大事なことに目を向けることができた。
星たち、虫たち、草や木たち。
夜になると、この場所から見えるもの全てが、自分自身と繋がっている(何らかの関わりを持っている)ことを感じ取れる。
人工的な気配は自分以外に殆どない神聖な領域。
ここ10年、邪魔な物を悉く棄てることに意識を集中して生きた。
棄てるには覚悟が要る。
まず親。
次に友達。
お仕事に会社。
そして人間社会。
蓋を開ければなんてことない。
歴史上、始まりの時から存在しなかったものばかり。
人が生きるのに必要なものは、始まりの時に在るもので十分。
現代人並みの暮らしというものが、次第に無縁のものになりつつある。それでいい。
此処には相応しくない。
浪費の思惑だらけの、文明の利器は。
何かのノイズを絶つと、元に戻れる感覚に近づく。
。。
消えるべきもの、まだ手元にある。
かろうじて、ネットワークを繋いでたものも、そろそろお役御免な気がする。
夜空、この場所からたくさんの星たちが見える。
今回の記事はただのぽえむです。
宇宙について。
地球は、地球だけで生きてるのではなくて。
たくさんの天体たち(中でも太陽と月)の影響を受けながら時を歩んでる。
この星も、あの星も、人間のネットワークのように、互いにやり取りしてたりするのだろうか…
人は、とりあえず光の観測までは余裕でできる。
それ以上の、例えば光のシグナルを読み解く…とか、会話とまではなかなか。
ここで、光年という概念に思いを寄せる。
光の速度すら年単位で掛かるほどの距離、ほど離れている無数の星々たちにとって、地球はどのように映ってるのだろうということ。
もし200光年の距離が離れてれば、そこには200年前の地球の姿が映し出されてるはずだ。
同様に、もっと距離が離れてれば、さらに過去のものを。。。
宇宙に見ることができる…かもしれない。
このとき、逆の考えも可能性としてでてくる。
現在地点の私たち地球が、どこかの星の過去を映してるかもしれない…ということ。
タイムラインという言葉がある。
その言葉どおり、過去と、そのまた過去と、さらに遠くの過去、というのは、それなりの規則性をもった軌道上で繋がっている。
タイムラインが、星々の時系列を繋ぎあわせたような宇宙空間上の配置関係、だと言い換えられるかもしれないということ。
天体を見ながら、そんなふうに考えてる。
過去と、現在、そして未来の可能性。
それらが、宇宙空間上に光の情報として同時に存在する場合。
私たちがしていることは、どのタイムラインを選んで進むか?という宇宙空間の旅なのかもしれない。
という考え方はどう?
ぽえむでした(‘ ‘*)♪
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- 夢日記, 星のお話
- 2021年08月04日
思考は言語で成り立っている?
言語で認識しながら思考をするとき、
思考の速さは話すスピードに合わせないといけなくなる。
それが言語の最大の障害。
ここを超えるには。
より周波数の高い光の領域。
イメージで思考化する癖を身につけること。