表現者の道

以前、舞台の袖を目指してた時期があった。
何者にも成り変われるスキルを望んだが、それを扱いこなす術を願い忘れた。

このことは、後になって筋力のようだと思った。
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筋力≒スキル

 
何かをやり遂げるという意志があって、初めてスキルは意味を成すとか何とか。
何のために演ずるのか? 何のために、その者に成り代わるのか?
果たして、その先を見据えていただろうか。

 
その存在のようになりたかったから?
その存在に近づきたかったから?
その存在たちのことを理解したかったから?

 
・・・同時に、自分という人間の在り方を辞めたかったから?

 

記憶の中にある創造の中の人物が、自分にとって成り代わった瞬間。
私は今までの自分という存在を、海に放り投げてしまった。

 
構築したい世界に、今までの自分のような存在は要らない。
舞台の中で彼らを演じ、生まれ変わるのだ。

さぁ、何になる?

 
何者にもなれるというスキルは、自分がどういう存在でありたいかハッキリしない。
だから、あやふやなままだったと後になって思う。

 

キミの子猫になりたい(。◕ ∀ ◕。)ノ
あなたはそう思っている、にゃんにゃん(‘ ‘*)


シェイクスピアの戯曲

小説とは、ただの文章の羅列であろうか?
と、少年アリスは問いただした。

 

その昔、日本では短歌という詠み唄が嗜まれていたという。
5:7:5のリズムに刻まれた節より、言葉の意味を超えた音の響きがこだまする。

 

ああ我よ
我という名の
月詠よ

波紋を揺らす
天地の舞に

現に出ずるは
夢の情景

 
彼は言った。

それは物語に在らず。
物語とは原初の音。
音のリズムが場を作る。

 
見よ、歴史的遺産として名高い彼の戯曲を。

 
その者は続けた。

ただの羅列が、心を踊らす名曲を成し得るや?
彼は知っていたのだ。言葉に宿る音の響きを。
その響きが合わさって、物語に生命を吹き込んだのだと。

 

あれは小説で在らず。
詩であり、抒情詩であり、物語なのだ。

 

ならば・・・

アリスは一拍、声を整える。

 

その詠み詩は、今ココに読み解くことが出来るものでしょうか?

 
彼は思い出す、古典の朗読を。
あれは歌だった。あのよろし。

韻を踏むメロディが脳裏に焼き付く。
あの響きが、鍵なのだ。


月食の後の満月

一際明るかった。
青色のオーブをまとったかのように。

2014/10/08/25:51
ブルームーン、あわい虹が見えた気がする。


月食は地球の影を映す

月食を眺めていて、これは月を眺めてるわけではない・・・と感じた。

2014/10/08月食
 
 
水面に映る月をみて、まるで2重の月を見ていると感じるように。
あれは水面を見ているわけではない、水面に映る夜空の光景を見ているかのように

もちろん中には水底を覗きこむ者も居るだろうけど、
大部分の存在は、無意識の内に水面に映る虚像の方を見ている。

月は、地球の影を映していた。
あれは地球の影。月食を通して月面に映る地球の影を見ていたんだ。

だから、あの月の瞳が地球の瞼で覆い隠れる時、
自らの瞳も閉ざし、その瞬間に世界から虚像の光が失われる。

見ているのは、自分自身になる。
月に語りかけた音が自分自身の中に響いて、自分自身の存在が鮮明に感じられるようになる。

 
月が教えてくれた。
この世界を見ている私たちは、実態を見ているわけではない。
自らの瞳に映った相手の幻影を、自分の瞳という「鏡」を通して認識しているのだ。と。

自分が認識している光景は、相手の実態を映し出してる虚像。
月(鏡)を見ているようで居て、実は月(鏡)に映る地球を見ている。を置き換えてみると何となく理解できる。

今、自分が見てるものがどういうものなのか、改めて考えさせられた。

 

月の瞳とは、見ているものの影を映し出す瞳。
自分自身が普段見ることのない世界(つまり自分自身の姿)を
月が鏡となって見せてくれるもの。

月食は、その規模が大きくなって、
まさに自分自身を含む地球の裏側を映しだしてくれるものだった。

と。。。

 

あれを目の当たりにすると、地球が丸いこと。
それから地球が太陽と月の間を動いてることを、よくよく実感できる。

それから、普段気づかなかった視点が開けて。
相手を見ることは、自分自身の「鏡」を相手を通して見ることとも認識できた。

 

なぜ月の満ち欠けが地球に影響するか。
この視点で一瞬だった。

地球に棲む生命にとっての太陽と月の位置の影響が、そのままあの形に現れるからだ。
地球のバイオリズムを、月という鏡が映しだしてくれている。
私たちが月をみる時、やはり月の満ち欠けが自分たちのバイオリスムを指し示している。

それが、地球上に棲むすべての生命にとってのバイオリズムに当てはまる、大規模なモノになっている。

 

月の満ち欠けが、そのまま地球上の生命を、潮の満ち引きを、それによって風の流れまでを、暗示してる。
といっても月が動かしているわけでもない、地球自身が動かしているそのバイオリズムを、月が映しだしてくれているということ。

だって、実際に回っているのは地球だもの。
月は、常に地球に同じ面を向けて、地球と一体となって一緒に動いている・・・
月はずっと同じ面を向けて、地球自身を映しだしてくれる、鏡。

 
月を見ることで、地球の動きを見るのです。
相手の瞳に映る自分を見ることで、自分の動きを悟るのです。

これが月食から学ぶことの一つかなと思いました。

 
私の瞳に映った月食の話はこのような感じ。
他にも、違う人の月食のお話を色々と聞いてみたいものです(‘ ‘*)


一気に書いて、時間を掛けて磨く

時間を置くと、過去の自分とは違う視点で振り返ることが出来る。
何かを生み出す時、描きたいという想いと、遺したいという想いが合わさって暴走する。
一点集中だから視野が狭く、だから自分の目線至上主義でどんどん話が進む。

ずっとどこまでも突っ走っていって構わないと思う。

 
ただし、後になって別の自分になった時、他人の視点でそれを解読することが出来るようになる。。
別の視点だと、自己目線至上主義では???なところが結構出てくるのだ。

そこを、2回目になぞるときに補完していく。

 
3回目、4回目となぞるうちに、もっと補完できてくる。
でも、元がきちんと筋道立ってないといけない。

もともと描くということで、全体像はっきり、進む道もはっきり。
どこまでも書き進んでしまえばイイ。

 

一気に書く。
あとで直す。

コレに尽きる。