石の記憶

伝説のアーティファクトづくり。
錬金術士アリシアさんの再来(。0 _ 0。)ノ

「伝説のアーティファクトづくり」と書くと、とてつもないことをしてるかのように思えてくるが、やってることはただの発酵だ(‘ ‘*)…

しかも、頑張るのは瓶の中の精霊さんたちだ…

閉ざされた宝玉の中に、小さな宇宙を再現するんだ。
その成り立ちに「名前」を刻んで、特定の組み合わせで唱えて発芽させる。
宝玉の世界が再現される。あれは植物の種みたいなもの。
エネルギーの種として、小宇宙の全てが1粒に凝縮されている。

 
生を望むならば、生命の水を。水底の深淵、奥に潜む真理への探求を
死を望むものには、炎を。燃え盛る栄光と、聖灰を。

 

その一方、はるか古の地にて、石を貨幣とした文化が生まれた。
石そのものの価値を見なくなったことで、本来の石が分化された。

石の意志を無視か(。0 _ 0。)ノ
かの錬金術士は嘆いておった。

石が人に対して呪いをもたらした瞬間だった。
 

少し前の時代では、それが金だったり銀だったりした。
または、豪勢に装飾された宝石たちでもあった。

今も、その一部は呪いの装飾品として遺されているものがある。
どれもこれも、その石の想いを無視したせいだ。
だから、持ち主に訴えかける。元の場所に還してくれ。と。
 

石ならべの基本は、想いを聞くこと。
石ならべ? 錬金って言い換えたらカッコイイ?

あるべきモノがあるべき場所へ。
そうすることで、エネルギーの無限循環は生み出せる。

そこから、望むものに、望まれたものが生み出せる、万能の箱庭が出来上がる。
生を望むものには真実を、消滅を望むものには最後の晩餐を。

錬金の視点では、人工的に磨きあげた宝石よりも、自然その物の原石のほうが価値が高い。なぜか? 石そのものが生きてるからだ。気の遠くなるほどの年月の記憶が、その石に幾層にも重なって宿ってるからだ。
 

実は、現代文明というのは、石の価値を全く分かってなかった。
だから、太古の石を燃料に燃やし続けて、呪いをまき散らすことができたんだ。
恐ろしいね、大量生産。恐ろしいね、工場。恐ろしいの、自動車。
あ〜、価値ある遺産が燃え盛る、あとに残るはゴミばかり。

 
本日は石のお話でした。
石の声は、頑張れ?ば聞けます。

主にそこに生える植物たちが、代弁する。
苔とか、すごいよね。苔は石から生まれるんだね。
あと水だね。水をかけると石が喜んだりもする。

水は、主に植物たちが生む。やっぱり植物だね。木だね。
 
 

水、水は、石が記憶を宿すのに必要なもの。逆に発信にも使われる。
石がメモリスティックだとすれば、水はコードを繋げる線みたいなもの。

その水を介して、様々な生命の身体に情報が運ばれる。
石の記憶が流れ込んで、その想いを再現するように成る。

 
至高の芸術品や美は、人工物のみでは無理なんだ。
人工物の中では、すぐに美しさが死んじゃうんだ。
すぐに死んじゃうもんだから、人工物の中で美を保ち続けるために、自然から奪い続けてきた。

元の美しさは、自然に在る。
人工物は奪って付け替えてるだけ。
人は無から何も生みだせない。
 

死が、想いを分かつ。
最近まで、何度か「死」をテーマに記事を書いた。
多くが死にたがってると思ったから。そんな記事を書いた。

人工物の上では、生命は存続できないって。みんな死んでしまいたいんだって云ってた。たくさんの声が聴こえる。死を、死を。死を。

で、現代社会は死すら許さず

 
想いを殺して生を呪う。あの現状。
まるで石の悲劇そっくり。

違う場所にもってって、無理やり働かせるからそうなる。
石のお金、わりとあの時点でマズイ。
あるべきモノが遠くへ持ち去られた。

そんな知恵の輪みたいにするのやめよーよ。
 

ひとしきり愚痴を零したあと、石を並べてうっとりするアリシアさん。
うん、アリシアさんはそれでいーと思うよ(。0 _ 0。)ノ

いしキレイね。


想い出の一粒

あの一粒の想い出から
何十年、何百年経った時、それが今、どのようになっているのか。

それは想い出の場所だったり、その時聴いた音楽だったり、あの頃の香りだったり。
そして、その場所で食べた料理だったり、当時あの頃にとれた葡萄で仕込んだワイン。。。

何十年、何百年と経った今、それらは一体、どのようになっているのだろうか…

 

こちら別件で、発酵と腐敗というテーマについて執筆をしておりました。

発酵と腐敗の違いについて学ぶ

 
その想い出のひと粒が、乳酸菌の瓶のように。
いつまでもいつまでも発酵し続ける状態で、年数を重ねる時。

 
永年の熟成を経て、何十年、何百年もの時を過ごしてきた、あの想い出のひと粒。
それが今、目の前に、目の前に。ほら、更なる輝きを宿して、ココに残り続けてるのだと!
あの頃、私たちが過ごした時間とは、こんなにも価値のあるものだったのだと!

当時を振り返りながら、感慨にふけるのです。

 

よく、50年物のワインとか、100年以上前の梅干しとか。
いつまでもいつまでも残り続けるものってあるんだけど。

本当の意味で、ヴィンテージものの味わいを理解できる者は。
実際に、その場所で、その時とれた作物で、それを仕込んだ人たち。
当時の記憶を、直に思い出せる人たち。
そして、彼らの想いを真に理解しようとする者たちだ。

昔を偲びながら、当時良く聞いていた音楽を鳴らしたりして。ほら、時間があの頃に巻き戻る。私たちのこれまでの史歴が、ヴィンテージワインの1本に凝縮されてるんだ。

 

想い出のひと粒が、いつまでも輝きを放ち続けるには
この発酵という宇宙の仕組みを再現すればいい。。。

アンチエイジングの発酵食レシピ

 
永遠の星々が正しい位置に並ぶ時…

 
想い出の一粒の中に、当時の、永遠の宇宙の形を再現し、アーティファクトとして保管しておくんだ。永遠の宇宙の形とは、あの日あの時あの場所で偶然に合わさった、すべての存在の記憶。時間が経つ程に、その輝きを研ぎ澄ませていく然るべき小宇宙の組み合わせを、一粒に全てを込めるんだ。

それによって、当時の想い出の一粒は、いつまでもそこに残り続ける。

 
いつまでも残り続ける場所
いつまでも残り続けるお酒
いつまでも残り続ける音楽
いつまでも残り続ける神話
いつまでも残り続ける記憶

全ては、記憶として。

 

そう、その記憶さえ理解すれば、その一粒を、当時の一分一秒の想いに至るまで汲み取れたなら、
当時の小宇宙のレシピは、現代に沿った在り方で、正しく再現できるんだ。
いつでも、その想い出のひと粒は、再現できるんだ。

 

このことこそが、かつての文明の愚かな結末…
水底に沈んだ古代アーティファクトの存在を遡って…

代々根づく太古の木、古代の化石、原石からなる小宇宙の
この星の記憶を、価値の真髄を、真に理解を深める鍵となる

 

星が奏でる
想い出の一粒

未だ底は闇。
深淵の闇。


本当は自由にしていいの

子どもの頃、自由にさせてもらえなかったの

親の言いつけを守らないとダメだった。
だから早く大人になって、好きなようにしたかった。

 
どうして、周りは邪魔をするの?

 

 

大人になったら、今度は働かなくちゃいけなくなった。
好きなことなんて、何一つできなかった。

どうして、周りは邪魔するの?

 

やっと自分の時間を持てた時
自分自身の人生に、何の意義があるのかというのを見失ったまま
それを、子育てに見出そうとする。

子どもに、幸せに生きていけるように、色々な教えを言い聞かせる。

 
そして親は、家の中でこそ自由でいたいのに
子育てに追われ、子どもに、親の生き方に合わせて動くようにと躾ける。
自分ではどうにもならなかった社会で、上手く生きていけるようにと躾ける。

 
 
その子どもは、やはり言いつけを守らないといけなくなる。

 

子どもの頃、自由にさせてもらえなかったの…

 

 

ねぇ、この連鎖。断ち切ること。できる?


運の巡り合わせ

運が悪い、タイミングが合わない。とるに足らないこと。
運が悪いことの価値を知らない人は、ただ嘆くのが。

ある一面では、大きな流れが、そのまま進むことを留めてくれている。本当の危機から、身を守るために…

 
運が良かったり、スムーズに行ってる時、調子に乗るほうが、ある意味恐ろしい場合もある。足元掬われるのは、決まってそういう時だから。

 
ネガティブな感情は、やっぱり美しいものだ(‘ ‘*)…
調子がいいタイミングであっても、隣でそうした人がいれば、その闇の抱える本当の危機を、未来の危機を敏感に察知してくれる。より大きなタイミングに備えて、動けるようになる。

 
社長は申しております。

常識だけで、物事の本当の価値を見出すことは出来ない。

 

 

運はバイオリズム。
目線によっても変わる。

目先の運がいいは、その後のことが見えづらい。
目先の運が悪いは、大きな流れに対して運が向く。

 
お互いのバランスを取れば、どんな強運にも勝る。


ご飯くれる存在がママ

思い、出した(。0 _ 0。)ノ

 

幼少の頃の話。

自分が、生きることがとてもとても重要だった。
身体のどの部分が欠けてもダメ、ずっと健康でずっと長生き。
その為に、自分が生きていくために関係する、あらゆることが重要だった。

 
ご飯、ご飯がないと生きていけない。

ご飯を出してくれるの誰?

お母さん?

 

そう、お母さんが居ないとダメなんだ。
自分が生きてくために、お母さんが居ないとダメなんだ。

ご飯さえあれば、とりあえずイイ。
自分が、健康で生きられるなら、とりあえず問題ない。

その第一前提があって、最重要な存在が、ママ。

 

多くの家庭環境では、子にとってママが一番。

 

 

これが、もし自然の中でなら?
すでに、身の回りに、食べ物や作物、実が、成ってる状況。

想像してみる(o _ o。)

 

自然が、ママになる。
お母さん、2番めくらいになる。
子どもは、お母さんだけに依存しなくて生きてけるようになる。

 
お母さん、四六時中つきっきりの育児から解放されるし
子は、一人の人間として、幼少の頃から既に独立して生きることを覚える。

母と子の関係は、生まれた瞬間から、一人前の1:1の関係ってなる。

 

育児大変っていうけれど。
大変にしてるのは、実は当人の生き方が、そのような徒労の道を選んだ。
ことになるかもしれない。

どの親も、我が子はかわいい。
しかしその為に、自分の人生を無理に犠牲にするなど、真には望まない。

子どもの立場から見たって、わざわざ自分のために、
両親の大切な時間、エネルギーを、消耗させてしまうのは、
とても申し訳なく想うだろう。

「自分、いらない子なんじゃないか?」

 
子どもは、そんなこと想うかもしれない。
そうして、少しでも親の負担軽くするために、
大切な幼少時代をすっ飛ばして、無理して大人になろうとする。

 
 

さて、あの家で、一番のご飯を出してもらったのは
おじいちゃん、おばあちゃんだった。
母よりも、祖父母の存在が大きかった。

だから、お母さんのいうことはともかく。
おじいちゃん、おばあちゃんの言うことはよく聞いた(。0 _ 0。)ノ

 

ご飯をくれる存在が、ママ。

自分が生きるために、その人の言うことをよく聞くようになるのは、子どもの心理的に、自ずからそうなる。
 
 

まぁ、そうして、自分の中に、彼ら特有の常識、格言、教え、価値観、が、ご飯くれた人から受け継がれるわけですな。

 

その価値観がどういうものであれ、結局人は、自然と分断された状態では、
「ママ」自らエネルギーを切り崩し、育児したり、生きるしかない現状を、そういった生き方を、子どもは目の当たりにする他ない。

子どもは、そんな多少無理したママの生き方を、苦悩するママの現状を目の当たりにして、嘆き、ママの代わりに嘆き、自分こそは、自由で、長生きしたいのに、ずっと健康でいたいのに、嫌なことなんて何一つしたくないのに、結局は自らも、ママを助けるために、ママをコレ以上苦労させないために、自分のやりたいことを諦め、早くに自立しなければと、そのように動くしかないと、思い込まされるのかもしれない。

 
 
食べ物をくれる存在がママ。
でも、ママが無理するうちに、どんどん理は曲がってしまった。

子が、泣きわめく時、
そのほんとうの意味を、親たちは知ろうとするだろうか?

 
殆どの人、素通りだよね。
泣き止ませるためにどうするか、としか。
多くの大人は、理解しようともしないんだね。
 

泣くことの本当の意味、分かろうとしてるの?
病むことの本当の意味、見ようともしないの?

どうして同じ過ちを繰り返そうとするの?
 

 
この世に、無視していい感情なんて、何一つないのに…

すべての想いが、その現れが、大切なサインであるはずなのに… 

 
 

 

 

もう…
 

もういいよ、何もかも。…どうでも。

 

 
 

 

もう。何でもかんでも、

てきと〜でいいよ。

あのとき

世の中の全てにつかれたときから…

 

 

 

な〜んもかんも
自然なまんまで、全てが。

 
 
食べ物なんて勝手に育つし、水だって降って湧いてくる。
働くって、無理して働くなんて、自分の好きなことを諦めるなんて、最初からそんなこと、思わなくてよかった。
 

自然になったまんまを食べるの。

それが、一番、楽でね。しかも美味い。Beautiful.。.:*・゜
この美しい星で、自分の好きに生きてイイ、直に伝わる。
 

子どもだって、自分の思うとおりに生きていいんだよ。
その両親だって、影からそっと見守るだけで十分。

 
もはや親も、子も、負担何一つない、
自然なるままが、全てに自由をもたらしてくれる。

 

ご飯をくれる存在がまんま
ご飯をくれる存在が自然。

 
自らにふさわしい、自由な時間と生き方を、

自然なるまんま、教えてくれる。
自然なるまんま、全てに自由を解き放つ。