存在が創造の源

存在が創造の源。

アニメやゲーム、イラストなどの創作物。
異世界の物語や世界観の中に、見るコトが出来るもの。

かつて存在したもの、どこかで存在していたもの。
その記憶の片鱗が、現代の平行世界の内に再構成されて

2次元の世界に映し出される。

 
それを見て、私達は何かを喚起させられる。

 
どこかの世界観を写しだしたパノラマの影像をず〜っと見ていくと
ココはこういう場所なんだろうか?と、何となく肌で想像できるじゃないですか。
空気感、まわりの光景、歴史的背景とか。

それが、かつて何処かで存在した記憶の証だと思うわけです。
細切れのピースですけどね。

 

細切れのピースは、記憶を再現させる力になります。
ただし組み合わせ方を誤ると、パラドックス(混沌の秩序)を映し出します。

本当は細切れにしか情報が得られてないのに、情報の一部をそれが全てだと錯覚して、なんか都合のいいように組み替えたモノを伝え歩くと、どこか婉曲した混沌が再現されてしまうのです。

例えば、豆まきの話。とか?

節分の話【鬼は内、福は内】

ホントは、原理原則を知ろうとすれば、それはより見破れるんですけどね。
(この解釈はまだ不完全であるだろうけど)

支配層とか、敢えて教えに忠実な人だけを秘密裏に。目新しい情報を一部与えて、それが全てだと錯覚させて広めさせることで、変な誤解が常識化してた節が有ります。

これもそう ⇒ http://goldenflower.jp/blog/2323

 
本人にとって必要な情報は、常に目の前にある。
そういった原理原則を忘れ、何か遠くの世界にある凄そうな話題を信じてしまう。
そんな人が、きっと混沌に動かされてきたのでしょう。

 

存在は創造の源。

そこから得られる情報は、あらゆる場所に内在する記憶の一欠片でしかない。
と、常にアタマに入れておきたいですね。

欠片と欠片の交わる部分が矛盾を構成する時、
そこに真実を見破る鍵が隠されているのです。


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