低次元の学びはどのように活用されるか?
久々に、考察をしたためます。
10年ぶりくらい。こうやって頭で考えて文章にするのは。お題は、なぜ低次元レベルの体験が我々に課せられたか。について述べます。
3次元にいた私たちは、時間をどれほど有効に使うか。。という概念に縛られていました。
そのため、短時間で多くの経験と知見、味わう、ということを求めました。
そうして2次元の便利さを見出したのです。
実際に3次元空間上で体験するよりも、手っ取り早く、画面の中で擬似体験をできるようになったからです。移動の手間も、身体を動かす手間もありません。
脳内イメージで、完結します。多くの映画、ドラマ、物語、スポーツ、ゲームを擬似的に体験できます。。
それができるのは、私たちが3次元の感覚を持って、それを味わってるからです。3次元の感覚を持っているから、それより一つ下の次元を自由に行き来できます。
紙にさらっと書いた2次元の設計図は、3次元の認識が生きているからこそ、3次元空間での再現性が保証されます。
素晴らしい情報伝達手段です。
しかし、罠が存在しました。
2次元の画面上で、3次元的な感覚を養うことはできないのでした。それは天上の神々の遊び。どんなに素晴らしいゲーム体験をされても、本物の感覚には程遠い、自分自身の中にある想像力を通じてしか、欠けた部分の保管が効きません。。
もしも、3次元的な感性の乏しい人が、tvやパソコンやスマホやタブレット漬けになるとどうでしょか。
分かります。それは体感の伴わない、擬似体験の積み重ねとなります。。その体験は2次元の認識に留まってしまいます。これは堕落への道。
この状況を、4次元の認識から見た今。今の現実世界にいる私たち。に置き換えてみます。
低次元レベルの体験は、本来どのように活用されますか?
私たちがいる場所は低次元ではありません。ましてや画面の中でもありません。画面を超越したところに認識があり、体感があり、しかも我々は複数の画面を同時に展開することができています。
画面を現実世界に置き換える。見えてくるパラドクス。。
そこが私たちの本来の在り方を取り戻してくれる、次元の境目だという考察をしたためました。
3次元は時間に囚われているから、その回答を2次元に求めた。
逆に向かえばヒントとなるかもしれません。
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