人の法

人の法も、なかなか存在価値の疑わしい所に迫る。

法に触れない殺戮や
合法的な略奪がまかり通るなら
法は本来の用途を成してない。

で、
災害の護岸工事の法にも目を向けるかな。

。。あれ、儲かるよね。土建屋が

大体何処もべたコンクリート詰め。
自然破壊が目に見えて酷いばかりでない。

目先の災害をそこそこ食い止める代わりに、大地に負荷を掛け続けることで、次回の災害の規模を割り増しにする効果が見込める。

あの方法での工事の取り決め、わざとじゃないかなぁと思うんですけど、どうですか? 昭和の大臣さん。
確かに、儲かるんだよね。
災害大きくする補修方法が一般化するなら。

モルモットの回転歯車の如く。
工事の発注いっぱい!

災害!護岸工事!災害!補修!循環!

一応、国民は、国家が健全に役割を果たせてるか監視する役目があるのだけど。。

長年、お疲れ様でした!
なんて、お声をかけられたい頃合いですか?

責務すごいもんね、アレ。
丸投げ具合が酷すぎるよね。

まぁ、お世辞にも健全と言い難い世の中なので、資源に限界が来るんですよね。
フリーエネルギー、秘匿されて当然かと。今の社会に扱う資格なし。

代わりにモルモットに回し続けてもらうといいんじゃないかな。それなりの代償を覚悟しながら。常に。明日は我が身。働け。死ぬまで。

という社会なので。

使役する側が使役される。
因果応報。

社会の庇護下に有り続ける限り、例外はない。


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