創造物を視るときの視点

創造物を視るときの視点

ギャラリー展。

うりゃー(。◕ ∀ ◕。)ノ

って、観てきた。

たくさんの作品たち。

色んな方法で、想いを書き綴ってる。

そんな作品たち。

作品って、想いを形にすることなんだね。

スキルなく、誰でも描ける。

芸術ってそういうものなんだ。って思わせる。

 

 

帰りにアンケートの裏紙にて絵を描きました。

うむ、立派に作品だ(‘ ‘*)

 

芸術は、誰でも生み出せるな…

 

 

 

さて。

あらゆる表現物を視るときの視点。

 

私は、それらの作品たちは、作品として形になってるが

自分たちがお部屋やギャラリーを形作る時、この作品たちは素材…って感じた。

これらの素材に込められた思いや存在の言葉を組み合わせて、自分の棲みたいお部屋にアレンジしていく。

自分のお部屋に意味を持たせるための、方向性を持たせるための、作品を飾ることが素材になるんだ。と感じた。

だから、その作品に込められた思いと、それらを見て自分が感じる感性とが、どう感じるか、しっかりと見定めていくんだって思った。

素敵なお部屋、ギャラリーにするために。作品に込められた想いを、もっと活用していくために。

 

 

 
 
一方で、例の彼は言っていた。

「一瞬の中に永遠を感じるかどうか、が問題だ。」

このことが、作品の50年後、100年後に現われる。

本当の価値は、そこで計られる。

そんなふうなことを、綴っていた。

例の彼っていうのは、関西に在住してるであろう
存在自体が神がかってるような…彼の言葉なんだが…

参照元 ⇒ http://81978.diarynote.jp/200805051914390000/
(彼とは一体どんな方なんだ(‘ ‘*)…?

 

人づてに聞いた彼の言葉は、何だかあの青い瓶のように感じた。

あの日、あの時、あの場所の、一瞬の世界。一粒の想い。

想い出の一粒
 

あの瓶の中で、それは今でも輝きを放っている。

人の手に触れること無く、ずっとありのままの姿で、一粒の想い出は熟成していく。

 

私は本当の価値がどのようなものかを、何となく確信した。


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