自然を見ることで人の仕組みを理解する

自然は、まるで一つの生命体のようだと感じた一つ前の記事。

もしかしたらアナスタシアさんたち森に住む人は、
自然とともに生きることで、生命はなぜ存在するのか?
自分の生きる意味、生命が存続する仕組み、その目的…
それらを確信を持って感じ取っていたのかもしれない、

と思いました。

 
関連記事 ⇒ アナスタシア-響き渡るシベリア杉-
 

自然が、多くの生き物からなる集合体であるように

人の体もまた、一つ一つの細胞からなる集合体。
この一つ一つの細胞、生きている。細胞一つ一つ生き物だと捉えられる。

すると、細胞一つ一つに核があり、中心軸が存在し、それらがそれぞれの役割を果たすことで
大きな集合体である人が生命活動を維持できている、ことが分かる。

細胞、一つ一つに個性がある。
望まれて其処に存在している。

大いなる存在が、その一つ一つにもっと目を配らせて働きやすい環境を作れば
より、個としてのパフォーマンスは向上するだろう。ということも分かりました。

 

そういえば、以前アンデルセンでこんな言葉を聞きました。

「原子と原子は隙間だらけだからね。」

 
 
あれはもしかしたら、この事をさらに原子単位で見たセリフなのかもしれない。

 
 
 
たくさんの物語の中に描かれた創造のアイデアは

それをより具体的にイメージさせてくれます。

一つ一つの細胞が生きている。
 

そこに空気と水と星。記憶が入る。

一つ一つがエレメント、精霊や妖精がみえる♪ヽ(。◕ v ◕。)ノ~*:・’゚☆

物語のフィルターを通してみた場合ね。

イメージの世界だから何でもありですね。

すると、彼らにも心があるから、性格もあるから、というのが理解できる。

 

じゃぁ、その子たちがもっと動きやすくさせてあげたら

解き放ってあげたら?

 

腕を、腰を、身体を、頭の天辺からつま先まで。

もっともっと解き放ってあげたら?

 
 
イメージの創造は、5感からくる。

みる、ふれる、あじわう、かおる、きく。

 
一つ一つの細胞で、全力で感じる。
まず、パーツ。

「みる」ことで、ふれる、あじわう、かおる、きくを同時に行う。
「ふれる」ことで、みる、あじわう、かおる、きくを同時に行う。
「あじわう」ことで、みる、ふれる、かおる、きくを同時に行う。
「かおる」ことで、みる、ふれる、あじわう、きくを同時に行う。
「きく」ことで、みる、ふれる、あじわう、かおるを同時に行う。
 

共感覚ってあるね。
あれを全ての感覚それぞれ、独立させた状態で行う。

その後、組み合わせる。
みるふれる
みるあじわう
みるかおる
みるきく

ふれるあじわう
ふれるかおる
ふれるきく

あじわうかおる
あじわうきく

かおるきく

 
今度は3つ。

 
そして5つ解放。

 

第六感は、その複合から生まれてくると思う。

 
それぞれを完璧に。自立させて、100%の力を発揮させて、組み合わせる。
依存は駄目だ。だからそれぞれ独立した感覚を鍛えていく。

 

これで、個としての能力もアップするはずだ。

 
 

この、一つ一つの細胞に語りかけて感覚を研ぎ澄ませる、
自分の場の中で行うといいかも。私にとっては森のなか。
 
木と湖の共存する場所。星も綺麗に見えます(‘ ‘*)

 
湖が星を照らし、自分の姿を映し、一つ一つの細胞を映しだしてくれる。
自分を取り巻く全ての存在と対話する。

 

 
アナスタシア第一巻に書かれていた内容は、
生まれた日の誕生日に、こんな感じのことをしてたのだろうか。

お誕生日は特別な日。そのときの星の配列が細胞の記憶。
自分をもっと知ることのできる、特別なタイミング。

参考記事 ⇒ 旧暦のお誕生日


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