壁
立ちはだかる壁は何のために在る?
障害を、障害だと思わなくなった時
それは障害ではなくなる。
壁は超えるに限るもの。
あっさり超えられるものか
どこかに抜け道が在るのか
何にしても、取るに足らない。
心の底から取るに足らない。
重要な部分が他にある。
立ちはだかる壁は何のために在る?
障害を、障害だと思わなくなった時
それは障害ではなくなる。
壁は超えるに限るもの。
あっさり超えられるものか
どこかに抜け道が在るのか
何にしても、取るに足らない。
心の底から取るに足らない。
重要な部分が他にある。
何処に意識を向けてるかで
普段の行動が変わってしまう。
いつの間にか変わる。
何処に意識が向いてるのか?
それは、今の状況にそぐわうのか?
無理があるとき、意識が別の方向に飛びすぎてるかもしれない。
現実は、より良い方向に変化させたい。
気持ちが先行してこそ、変化の行動は起こせる。
ただし無理なく、段階を追ってこそ、スムーズに移行できる。
100%をいきなり方向転換でなくて。
1〜2割から少しずつ、少しずつ、土台を築きながら。
今の生活にも、意識の余力を残しながら。
少しずつ、少しずつ。
意識の配分を、コントロールしていく。
夢を見た。
木の実は、毎年豊作不作が在る、安定しない。
縄文の人、その土地の木の実が不作の時は、どうしてたのだろうか?
「木を植えないの? 自分たちが暮らしやすいように。色々な樹を植えないの?」
と尋ねた。
「私たちは自然のあるがままを受け止める。自分たちの都合のいいように改変しようなど、とんでもない。最悪、食べ物を求めて移動するしか無いだろう。」
と、当時の人達の考えを再現するかのように、夢のなかで言われた。
この時、想った。
もし先住民たちが、自然の言いなりでしかなくなったのなら、
彼らが北へと去ったのは、自然の意志だ。と。自然は、彼らの考え方を良しとしなかったのだ。
「人は、自らも自然の一部である」
この考え方が抜けているのだ。
自分たちの縄張りだけでも、自分たちと自然とその動物たちが暮らしやすいよう、色々な手助けをしてあげると、土地との繋がりは強まる。
好きな樹を植えたり、花を植えたり、その植物たちを素材に色々なアイテムを作ったり・・・
土地は、そこに棲む生き物たちの役に立ちたいと常に思ってる。
人は何のためにいる?? 自然のあるがままなど役割放棄もいいとこだ。
人は自らを活かすために。土地を活かすんだ。
植物たちを活かす、動物たちを活かす、微生物たちを活かす、人が活かす。
人は、自然を偉大だと畏れるあまり、自分たちの価値を蔑ろにしては行けなかったのだ。
自らも自然の一部として存在を敬えば、或いは、今も楽園は続いていたのではなかろうか。
あの書庫。10年少し前からのこと。
孤独の中で書いてたのね。
誰も来ない、誰もいない。
寂しい。
誰かを求めていながら
書庫に篭もりっきり。
孤独の中で、視えない虚空に手を伸ばしていた。
視えない虚空に、創造を描いていた。
「私はどうすればいいの?」
そんな気持ちで。
だから、読み返すと、少し切ない想いが蘇ってくる。
宵闇、星、一人。明かり。閉鎖的な空間で。
何もない、何もないがある。
定義するというのは、
より具体性を増す代わりに
無限の可能性を見えづらくもする。
空間という、切り取られた枠内に
時間という、定義を入れた
そんな世界の中に要るから、
私たちは世界を認識しやすくなってるのだろう。
有限にして認識しようとするから、この世界に制限が生まれていた。
が…
空間も時間も、実に無意味な計らいだ。際限がない。
どこまでも続いてる、そして循環している。無限。
此処は無限なのだから、無限の中での「存在」自体が神がかってると感じた。
「いつ」から「そこ」にあるのか、始まりも終わりも無いのだから。
全ての存在が、神がかっている。絶えず循環している、際限がない。
それらは、生きているということだ。
HN:鈴鳴 ると