7日目に神が不在になる件

私が、これまでの過程で
不要なモノを切り捨てる生き方に特化してしまった為に。
捨て去るべき情報にフォーカスを送ることも多々ありました。

目先の摩擦にさえ目をつぶれば、自身の振る舞いに気づくことが楽に生きる一番の近道になったから。

 
現代社会は罠が多すぎると思うんですよ。。一個一個羅列するのが気の遠くなるほどに。
してはマズいこと…に注意が向くと。マイナス方面に意識をもって枯れるのも、なかなか。

難しいのは、無視できない部分もあるということ。

今の人間社会、無自覚に生きてるだけで、悪影響が出てしまうもんな。

そのような社会を許した我々の怠慢になるのでしょうか?

 

本題。
 

一週間、7曜日制の発端はいつでしょうか?

明治の文明以降になるでしょうか。

 
それまでは日本は旧暦。月齢で暦を数えてた。大地と共に生きるとき、種の薪き時、収穫時期などを、一日のリズムと平行して、月のリズムにも理にかなうタイミングでしてた。

一日目と15日目の神社参拝は、月の暦で行うことに意味があった。
 

少なくとも今よりずっと旧暦は日本の風土に馴染むものだったと伺えます。

 
で、なんで7曜日制になったの?
西洋文化を取り入れて、聖書の神様の行った7日間のサイクルを模倣したの?

 
 

7日のサイクルで動いてるのって、おそらく地上では一部の人間だけだと思うのだけど。

なぜ、神は7日目に休まれたのか。
解釈によっては、7曜日制が重篤な欠陥を孕んでるわけですが。

たぶん神官さん音楽的にも分かって曜日制作ったよね。くらいの、コロナよりも酷いバグだと思うんです…はい。

 
1日のリズムを基準に地上の営みがあります。

1日のサイクルは、昼と夜の二つに別れ、さらに午前と午後で4つに。

夜明けから正午
正午から夕方
夕方から真夜中
真夜中から夜明け

4つのフェーズに分かられる。
さらにその4つを、6等分に分けられた。

地上の営みを元にした時間の発明。理にかなった分け方だと思いますの。

純正律の音階は、基準の1に対して
2倍、3倍、4倍、5倍、6倍までの周期に対して、非常に相性の良い組み合わせになるから。

一日24時間の区切りは、それなりに参考になるかと。どうでもいいともあるが。。

純正律の音階で試してみてね。

 
110hzの[ラ]の音を基準とするなら
220hzの[ラ]を重ねて
330hzの[ミ]を重ねて
440hzの最も慣れ親しんだ[ラ]
550hzの[ド#]を重ねて
660hzの[ミ]でハーモニーを奏でるよ。
 

基準から6倍周期までは綺麗な和音になるのです。ええ。

 

ですが此処に第7倍音の音階を加えるとぐちゃぐちゃに鳴ります。

770hz…これはだいたい[ソ]の辺りかな。

 

基準から第7倍の周期を掛け合わせた場合、それまで築いてきたハーモニーが混沌に響くようになります。

 
ホラー映画っぽいでしょ?

 
7日目以降、神は休まれた。

7倍という節目には、神が不在なのですよ。

 
で、つまり人間も同じように、第7日目は休むようにとの言伝だったのだろうと思われます。

 

それが現代社会はどうですか?
あろうことか7日間サイクルで動いているじゃないですかー!!!

 
7日間サイクルは、基準の1日(自然界のリズム)に対して不協和音に働くので。

人間社会からみた場合、自然界は怖いところ!という響きに感じるし

逆に自然界側からみた人間社会の営みも、地上のバランスを崩す脅威的な存在に見えてしまっております。

 
ヤバクね?
 

誰だよ。7曜日制なんて考案した奴は。
 

自然界と人間界を対立させるためにやったのかな??
 

というくらい、実際そうなってるわけで。

歴史が証明。文明開花以降、さらには敗戦以降急速に。

人間社会は、田園を捨てて人間だけで生きる道を選んだ。
 

分かるよ、外界が怖いんだよね。
それ、ただの不協和音だと思います。はい。


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