自己の存在の薄さ
自分自身の存在が消えている。
私は此処に居ない、居るのは何処か別の場所。
冷たい人に見られてたのは、幽霊に近い存在だからかも。
悲しさも寂しさも遠い。
自分自身を消して、色んな存在の立場でモノを観ることをしてる。
私の言葉は、たぶん異なる存在が発した言葉で、そこに私は居ない。
自分しかいない場だと、誰しもそういうふうに物事を捉らえもすると錯覚する。
しかし、現実に生きる人と触れれば、実は特異性であったのだろうか…と思いにふける。
自分の感情が遠い… 痛みも喜びも楽しさも、第三者として感じてる。
器が広いんじゃない、限り無く薄く、感情が遠い。大抵のものが素通りしてく。
だから、近く感情を発してる存在よりは、
淡々とそこにある樹や、地面、死の存在や過去を内包する土、
のイメージや感覚を受けやすいのかもしれない。
私の存在が、死者の記憶に混じって遠い場所から見下ろしている。
目の前のものを、すごく遠い目線で。
現実的な響きが薄いのは、存在が遠いから。
生きているのに其処に居ないというのは、
側にいる人にとって見れば
「一緒にいる意味あるの?」…他人の見てる領域と、遠い存在の領域が重なりあう場所。
夢の世界にほかならんのではないか。
私は夢に生きているようだ。
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