ほら、これが光の糸

全てのものが宙と繋がっている。
逆に言えば、宙と繋がっているものが全て。
宙は宇宙と置き換えて、全ては無限に繋がってるとも云って見ます。

マスターにとっての常識とは、うちらの棲んでる常識とは違う世界にある。
それは、その場に居た誰しもが思ったことです。
誰もが、見える範囲でしかモノを見ないから。うちだって、見える範囲でしか見えない。
その先を、存在しないものだと思ってしまっている。けどそんなわけがない。
コインの裏と表があるように常識とかけ離れた場所とは、常識を裏返すだけでその片鱗を露にするのです。

非常識は常識で成り立っている。
逆もまた、然り。とかカッコよく云ってみるのが私。あきの。

 
此の宇宙は、夜空の星の一つ一つがそうだし、それぞれが命の灯火だとも取れるし、そうなれば一つ一つ私達の命の輝きにも取ることができる。
一瞬でもそのどれかの星と”リンク”し合えば、それが今日の人生を左右する星になるのです。逆を言えば、自らの人生がその星の運命を左右してしまう。
自らの人生を全うすることが、どれほど重要な出来事なのか。
そう、こういうことなの。自分だけでなく他の命にも当てはまる。
一つの宇宙の運命を、自らが背負っているとの、そういう解釈に当てはまってしまいます。

宇宙のほんの僅かな存在でしかないものが、どんなカタチであれ全てのものに影響を与えると。。。
全ては繋がっている。。のでした。
さて、ちょちよくわかんない…

 

人間の身体には電気が通っている、一つの事実。
これが宇宙とのプロバイダを結ぶ光の線みたいなものです。
微量な粒子が身体の情報を絶えず送り出しています。そこに。
時々空に吸い込まれそうになるのは、錯覚。

さて、一たび自らの粒子を、自分の1万円札に流して見ますと。。。
ん、例えるにはどうなんだろう。
一万円札は、自分自身の手みたいなものになるのかな。
手とか足とか、脳からの電気信号で動いてるようなものだし。。。
だとすれば、一時的にでもそのお札を自分の身体の一部にすればいい。
全ては宙で繋がってしまう。
そうです、見えちゃうものです。
自らの光の線、が。宇宙を介してお札と繋がってると。
お札は、光の糸に持ち上げられ;;宙に浮いてしまいます。

これは常識の範囲内。の出来事なのです。
不思議でも、なんでもなかったんですね。
お札はその後も生きてるかのように飛んだり跳ねたり踊ったり、マスターの肩に止まったり。
蝶々みたいなの。

 
さて、続きましょう。


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