経済至上主義が、ゴミを量産する

経済至上主義が、ゴミを量産させる背景

一般に知れ渡るモノや知識などは、ガラクタで溢れかえっている。

ガラクタにも再利用可能なものと、粗大ゴミでしかないものとあるが、ガラクタはガラクタ。

経済は、人に依存させることで回る故に、経済成長によってますますガラクタは溢れ、人人の生活をガラクタで雁字搦めにした。
それ故に、この社会はゴミのような扱いに等しくなっている。

地上はガラクタで覆い尽くされた。

本当に大切なものは何なのか。

私は、比較的再利用可能なガラクタを仕事に利用してるけど、この状況すらも、本来に相応しくない。

Windowsを見よ。粗大ゴミだ。
なぜあんなものが大半の人に行き渡っておるのだ??

答えは欠陥品だから。
お店が売り上げを存続させるには、そこそこの頻度でぶっ壊れて買い換えてもらわねば、ならんから。
得てして、数年で壊れる欠陥品を、メディアや業界全体は大プッシュするのだ。、

家も設備もそう。

ということは、それ以前の世代の、物事の判断基準もそうであったということです。

一般市場には、まずそこそこの欠陥品や隷属品しか広まらず、欠陥品の良し悪しを選び抜く価値感や知識しか知れ渡らず、

また、人人に莫大な対価を要求するものしか、人間社会の構造からは生まれてこない。

こういった社会を歴史が作り上げた。流れは加速する。
もう証明するまでもない。昨今の現状が全て物語る。
一般の教養や歴史は無価値であり、誰も引き継ぐに値しない。

こうなった以上、必要なものは自分で編み出すしかない。
全て可能。可能なことしかない。


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