巡る箱庭✨隠者の書庫
1−2「書庫:スセン老師の小屋で」
星明かりの下。夜の氣配が漂う薄闇。
なだらかな丘の小道を下ったところに、スセンの小屋が見えてくる。
「ようこそ」
と、入り口の扉を開けた先は、暗がりで覆われていた。
中は、湿っぽい木々の香りで充満していた。
様々な本、本棚。机の上にずっさり詰まれた書籍。
その一つ部屋の間取りに、古びた記録のなんと多く嵩張っていることだろう。
「どうぞ、お掛けなさい」
マーリユイトは椅子を勧められた。
ほうほうと隙間風のなびく肩身に、いくらか冷たい空氣が触れる。
暗い、マーリユイトは少し、室内の暗さを氣にかけた。
明かりが必要かもしれない。
と、その時。スセンの指先が、すぅっと宙空にサインを送ったかと思うと。
部屋の片隅に、突然に炎が現れた。「暖炉」の火だった。室内が照らされ、スセンは種火を拾い、蝋燭にも明かりを灯す...
「今日は久々のお客さんだ。よろしく頼むよ」
そう言って部屋の主は、暖炉でお湯を沸かしはじめた。
炎の揺らぎが、辺りを優しく橙色に照らす。
少し戸惑いながらも、マーリユイトはその空間に魅入っていた。
無作法に調合されたお茶の葉を一掬い。
夜間の蓋を外し、丁寧にお湯の中へ入れる。
茶葉の香りが、徐々ににじみ出す。
薄く次第に、色の現実味を帯びていく。
そこに星屑を溶かす...
ゆらゆら、蝋燭が書斎の影を揺らしながら。
間もなく、スセンからティーカップを差し出された。
「さぁ、星の紅茶だよ」
ただの紅茶ではなく、中央に星の欠片が浮かんでいる。
その微細な輝きが刻々と解かれていく、だんだんと溶けて小さくなっていく様が、どこか儚げだった。
解かれた星屑が一瞬光ったかと思うと、その上で淡い橙色のオーロラが湯氣となって霞んだ。
「不思議な色…」
暖炉の炎。星命のゆらめき。
星屑の香りと時間の流れる境目と。
紅茶の味が、ちかちかと刺激するよう。
口当たりがお星様って。
「良い色観だ。星が落ちて間もないほど、こうして鮮やかに色づく。」
星を飲み込むって、どんな気分なのだろう。
役目を終えた星の欠片は、こうしてお茶の中に消えてゆく運命なのか。
天上の星々が流れ行く夜の狭間で、この部屋だけ空間が切り取られたかのように感じる。ただじっと、星の軌跡を口の中で味わいながら。
光と影がまどろみ、様々な想いが原型を留めず無くなっていく。
ふと、スセンは部屋中に散らばる書の中から、一冊の本を取り出す。
擦り切れた表紙、パラパラと紙のめくられる音。
「暗くなってきたな、灯りをもう一つ増やしてみようか」
スセンの指先が何かをなぞったかと思うと、今度は二本目の蝋燭に火が灯った。
星の紅茶をひとすすり。
淡く、深いよどみが、くっと喉を潤していく。
星の消え行く様が跡に残される。
終始驚きを隠せない中、スセンから本の見開きを提示される。何だろう?
「あまり見慣れないものかもしれないが...この【本】の一節を紹介がてらにな」
其処には、人と「火」とが関わってきた歴史について記載が遺されているらしい。
内容が読み上げられる。
ーーーーーーーーーーーーーー
全ての存在には「真名(マナ)」が宿り、名そのものに「役割」が与えられる。
"火"とは「生命」のマナが、その役割を転換する上で遣わされる...
役目を終える存在は、その火を待ちわびている。その迸りを一点に集約させたとしよう。そうだ。凄まじい抑圧のエネルギーが内部で破裂せんばかりに、次第に熱を帯びる。その圧縮された一点に凄まじいほどの熱量を感じたら、上昇する螺旋の奔流を思い描いて、ほんの僅かに天辺へと解き放つのだ。瞬間に炎が発現する...浄火の灯となって。生命の輪廻は天に還られる。
そして形を纏ったモノは一片の取り残しもなく、燃え殻となって。大地に還る。
もう一度、スセンは火の筆跡を導いてみせた。
その綴りになぞって、赤々と燃える火のイメージが脳裏を過ぎる。
『炎の浄化により、新たな生命の礎とならん...』
炎の姿が息を吹き返した。
赤く、鮮やかなオレンジ色の筋が渦をまとって拡散したかと思うと。
瞬く間に、火は螺旋を描くように揺らめいて、蝋燭の先端に留まった。
くるくると、風で踊っているようにも見える。
「この本は。儂が人生をかけて解き明かした、真理の一端が書かれている。語り尽くせないほどの膨大な知見が、次から次に押し寄せ、1冊の本にまとめ上げるのに苦労をしたものだ。
しかし。この叡智は未来の子らに引き継ぐことを許されなかった。何しろ、誰にもこの本の所在を知る機会が与えられなかったのだから。」
スセンは訳知り顔で告げた。マーリユイトには話がさっぱり見えてこなくて、いつの間にか上の空で聞き流していた。。
呆気にとられる来客の姿に案の定、スセンは我に返ったようで、やがて沈黙。
マーリユイトは、とりあえず「おじいさんだから、色々苦労したんだろうなぁ」と感慨を抱いたりした。
「スセンさん、物知りみたいでス…?」
「ところで、マーリユイトと言ったか」
みた(ところで...)と軽く言葉が被さり、マーリユイトは今一度尋ねられた。
「お前さんは、何処から来たのだね?」
「えっと、それは…」
・・・それは沈黙を噤む他ない。来た場所はおろか自分自身のことさえ、さっぱり記憶から抜け落ちているのだから。
この「名前」以外には。何も。
ふむ、とスセンの額に一線の皺が浮かび、神妙に瞳が閉じられる。
なぜだか、自身のありのままを観られているような感覚に陥った。
「分からないです。気がついたらあの場所(丘)で目が覚めて...」
スセンは静かに眼を開けて告げた。
どうやら少年の存在する座標は、この時間軸に示されていないようだ。
「ふむ、これも因果の巡り合わせか。天上の星々が、この地にお前さんを呼び寄せたのか」
スセンは遠くを見ながら、ひげを弄る手振りで思案しているようだ。
星、かの星たちと、マーリユイトは、どのように関連するのだろう。
老人の表情からは、それらを伺い知ることができない。
「まぁ宵か。日も暮れた事だし、今日しばらくは宵に浸ると良い」
ゆっくり休まれよ。
表層の言葉がある一方で、その意図は深層に込められる。禮を。
「ありがとうです...」
窓から零れる星明りと蝋燭の灯りが、ゆったりと沈黙の時を彩る。
夕闇を駆け抜ける風が、さらさらと草原を靡かせていた。
マーリユイトは、以前も此処に来たことがあるような、どこか懐かしい感覚を抱いた。
暖炉の火、樹木の香りと星の紅茶の味わいに、不思議と心が落ち着いてくるのだった。
「うむ。宵に浸ると良い…」
スセンは一人、寒空の下へ出かけた。