創造するということ(9)-創造の意志-

創造がうまくいかない時、それはイメージを物質的な自分の中だけで完結させている場合に起こるものだと感じた。


黄金のリンゴがもたらしたのは、ある意味自分と他人の区別。
自分だけが唯一絶対だと錯覚したことなのだろうか。

だから、分断された宇宙の存在の片方しか想像できず、そこから生まれる創造物は完全にはなり得ない。

物質的な自分だけの世界に囚われる時、自身の未だ視ぬ可能性を見失い、
現在の自分自身の在り方に囚われ、理想とする自らを創造することを忘れてしまうように。

それは時が経つほどに、不完全な状態のまま消滅を余儀なくされてしまうのだ。
人が、一人だけでは生きていけないように。
男だけ、女だけの世界では生命が滅んでしまうように。


陰と陽、相反する要素がお互いにバランスよく調和することで、宇宙の集約された完全な創造物が誕生する。

創造主が原初の宇宙を形作る時、全ての存在からその粒子のひと粒ずつを集め、新たな存在を創造した。とある。 一つは全ての情報を宿し、全ての集合体が一つである。そのような解釈ができる。 創造の行為は、全ての要素を一つに凝縮することにも見える。


生命の種。
種の中に、宇宙の全てが詰まっているの。

私が創造する時、私の中だけでは、全てを把握するのはかなり難しい。
自分と他人の境界線を無くし、まずは全てを自分自身とし、それらを集約させる。
自分という意識が宇宙に溶けて広がるのか、それとも宇宙の全てが自分の中に入ってくるのか。

極陽、もしくは極陰、偉大なる創造の意志によって凝縮させる。
自らが全ての存在の一粒一粒を認識し、それらをこれから誕生させる創造物に全てつぎ込む。
全てだ。


創造の喜びと感情が、ひとりでにそれを為す。
全てが意志を持ってるかのように、新しく生まれる創造物に凝縮されていく。

こうして生まれたものは、もうひとつの宇宙。
同時に偉大なる作品であり、自らの分身体となる。


そこに永遠の生を夢見る。


次のページへ