ハープの演奏会に行ってきた

グランドハープの演奏会。
大きさが人の身長ほどもあり、ものすごく大きいのです。

グランドハープ

ポロン、ポロロン。
ハープの弦は47本。全て白鍵盤の音で成り立ってる。
調を変える時は、足のペダルで切り替えてその音程を半音上げたり下げたりする。

ハープ ペダル

あの優しい音色の響きは、そうやって成り立ってるんだなぁ。

 

流れるような旋律は、ドレミファソラシの連符で。
それが曲調によって音階が少し切り替わるのみ。基本がコレなんだなぁと学びました。
楽器を知ると、曲作りに活かせますね。

それと、音の響きは。
弦を鳴らして、その余韻の音がどこまでも続き、
他の弦の音と共鳴して、音の空間にハーモニーが出来る。

だから、ピアノで言うペダル。サスティン?
ハープの音を鳴らすとき、余韻の音まで意識するといいんだなって思いました。

ポロン、ポロロン。

流れるような旋律で。


十二夜を詠みあげた感想

シェイクスピアの戯曲、第十二晩目の出来事。
舞台の上で演じることを想定した、台本。脚本ともいうのでしょうか?

ほぼ台詞のみで物語が表現され、台詞ひとつひとつ、独特の言い回しが耳に残ります。
ユニークな掛け合いの連続で見えてくる登場人物の人柄、その目的、人間関係。

物語の中枢は、人間関係を元に構成されていて
その心の、意志のぶつかり合いが歪を、小さな物語の種を生み、
それらの物語一つ一つが絡み合って解け、大舞台の幕が閉じられる。

まるでパズルのようだとも思いました。

そうだ、物語はパズル。
登場人物はピースの欠片で、意志がその形を示し、
然るべき場所に辿り着くよう、舞台が動こうとする。

意志のぶつかり合い、ピースとピースの欠片がぶつかることで、お互いに生まれる動き。
欠片は役目を与えられた。例えピースが合わなくても、それ自体が物語を生む。

 
いがみ合いはスムーズな進行の足かせとなるが、
白紙のページに傷として残ることで、舞台にコード、音を響かせる。

その音は、物語の裏に隠されたメッセージを暗喩する。
ささやかな、ささやかな。

 

まさかと思った。

物語は、情景描写がなくとも物語になる・・・
役者たちが登場人物に成り代わってその台詞を詠み上げることで
かくも表現すべき舞台背景を演出することが出来るのか?!

 
彼の物語は、最初に登場人物ありき・・・
そのピースの欠片を、時の運命が彼らを動かし、一枚の絵画を築きあげるのだ。

 
Finaleは、見事な大団円であった。
運命の輪が、正しい位置に収まったのだった。

 

ここまでの物語の経緯に、人々の葛藤を思い、音楽を感じ、時間の流れを共にする。
戯曲が戯曲である所以は、此処にもあるのか、と思った。

曲作りも似たような感じだ(‘ ‘*)


テキスト音楽サクラの使い方【ソースの描き方編】

テキスト音楽サクラ(TextMusic SAKURA)のソースについて

http://oto.chu.jp

 

テキスト音楽サクラのMMLファイル。
同じ曲を再現するにも、その描き方はもう色々です。

「ドレミ」のストトン表記で書いたり
「cde」のアルファベットで書いたり

予め音色や音量やリヴァーブなどの設定を指定しておいたり
パートごとに別けて書いたり、色々。

決まった描き方がないから、人それぞれでバラエティの富んだソースを垣間見ることが出来ます(サクラの曲掲示板にて)
そういう人のソースを覗き見て「これいいな」て思う部分を取り入れつつ、自分なりの描曲のスタイルを確立していく。そうやって始めたての頃から、自分なりの曲の描き方を定着させていってました。

で、後から当時のソースを見るに・・・どれが何の音なのか分かりづらい。
どういう感じかというと、ちょと簡単な曲のソースを載せときます。

以下長文

>> 続きを読む


なぜ今「テキスト音楽サクラ」なのか

昔、かなり昔。8年前。まだ曲を作り始めて2年位の頃。
とある楽曲投稿サイト経由なのか、こういう質問を訪問者からいただきました。

「MIDIでここまで作れるんですか?」
「使ってるの内蔵音源なんですか?」

 
そのときってMP3投稿が主流で、高品質な音源、作曲ソフトとかいろいろ推奨されてた時代。しかし当時の自分は未だにデフォルト音源で、無料のシーケンサー(サクラMML)で作ってた。いろいろ珍しいかったんでしょうね。

その方は、かなり熱心に質問されてきて。
「〜いろいろ音源弄ってみたら」とか、「DAWが、ミックスが・・・」って、
当時の自分ではよく分からないこと仰ってて、逆にこっちが学ばせて頂いてたんですが。

「なんで無料でそこまで出来るの?」

 
ていうのが、その人の質問の核心部分だったみたい。
当時は、答えられなかった。なぜなら、作曲ソフトとか音源がどういったものか体感出来なかったから。

 

今、ひととおり体験してみて思うのが、音の再現度よりは、まず音の自由度かなって。
音を並べるときの軽さ。身軽さ。旋律が自由に描ける身軽さ。それが曲の創造性に現れて、囚われず、流れるような音でいろんなかたちで表現出来るよって。

 
高機能な作曲ソフトって立ち上がりとか動作が重いんだ。
高品質の音源扱って、その音データを呼び出しながら譜面を制御して、鳴らす。
一挙一挙の挙動が、音そのものを取り扱うような動作が、とても重い。

その重みが、たぶん直打ちする人からすれば、曲に現れてしまうのだと思う。
どうしてもベターって、単調な音しか出せなくなってしまう。重いから。自由に動かしづらい。

これ、リアルタイムに演奏して打ち込む人なら大丈夫だと思うのだけど、
私の場合はね…楽器ないから。。。

 
一方で、MMLの場合は非常に軽い、とても軽い、めちゃくちゃ軽い!
メモ帳を開く感覚で開けて、文字を書くのと同じように音符を並べることが出来る。
むしろ、文字が音符の代わりになってる。細かな音量の調整も前もってプログラミングできる。

音の長さ、音符、音の強弱、ゲート、音量、エクスプレッション、モデラート。
一瞬で描ける。あらかじめその形を指定できる。あとで一括で変えられる。偉い!!!

 
一つ一つの音を並べて調整するのが、Logicだと細かく出来る代わりに100くらいのエネルギーを消費するのを、MMLだと10程度の労力で十二分に再現できる。この軽さが、旋律に自由度と音の再現性を格段に向上させている。けっして、有料ソフトで高機能だから優れている。というわけではないというのを、身を持って学んだのでした。

きっとそういうことですよね、あの質問の答えも。⇒適材適所。

 

ギアチェンジ。の感覚を思いました。
最初から本番用でがちがちのシステムでやるのじゃない。
線画用のシンプルな動作で、譜面をまず作成した後

あとで、音の高音質化、優秀なエフェクトを加えたり、ミキシングしたり、既存の音ファイルを取り込んだり。これらは分けた方がエネルギー効率がいい。

 

・・・

もちろん。私のやり方の場合ですけど・・・
いきなり音ファイルずらって並べてミックスとか、すごいよな〜。
そういうの出来るだったら、Logic一本でもいいよな〜。
たぶん、好みの問題でそういうのは避けてるのかもしれない。

どうしても音符を並べるのが=作曲だと思い込んでるフシがある。
音ファイルそのものをつなぎ合わせるのは、あとで応用効かないから好きじゃないのかも?

 
MIDIがあると、自分の場合安心で、イメージの再現性が半端なく優れるのです。軽いから。
最悪、大元のMMLファイルだけバックアップしておけば1曲わずか数十kbの容量しか食わないから。
それがあれば、再現はLogicを通していつでも出来る。
ミックスの方向性も、大元のMMLファイルを残しておけば失敗したって問題ない。

この軽さが、曲の自由度と再現性を向上させていた。。。

 

過去の曲。2004年から2008年まではサクラMMLでした。この頃の曲は今でも気に入っている。
しかして、2009年から2014年までLogic一本でやってました〜。音質は向上したけど、いまいち音に魅力がない?というのは、こういうことだったのかもしれませーん。しかも更新頻度が滞った。

最初からLogicだけ触ってても上手く曲を作れなかっただろう。

 

私が曲として音楽データを残せるようになったのは、シンプルなサクラMMLのおかげ。それが今、やっと実感出来ました。サクラMML復活させて、また以前の更新ペースに戻すのを決意する。

とりあえずMac用のサクラMMLが開発されるまで、WindowsXPを引っ張り出してくるのであった。


歌が一瞬でうまくなる方法

これを意識してみて(‘ ‘*)

口角を上げる

段違いにうまくなるから.。.:*・゜