グランドハープの演奏会。
大きさが人の身長ほどもあり、ものすごく大きいのです。
ポロン、ポロロン。
ハープの弦は47本。全て白鍵盤の音で成り立ってる。
調を変える時は、足のペダルで切り替えてその音程を半音上げたり下げたりする。
あの優しい音色の響きは、そうやって成り立ってるんだなぁ。
流れるような旋律は、ドレミファソラシの連符で。
それが曲調によって音階が少し切り替わるのみ。基本がコレなんだなぁと学びました。
楽器を知ると、曲作りに活かせますね。
それと、音の響きは。
弦を鳴らして、その余韻の音がどこまでも続き、
他の弦の音と共鳴して、音の空間にハーモニーが出来る。
だから、ピアノで言うペダル。サスティン?
ハープの音を鳴らすとき、余韻の音まで意識するといいんだなって思いました。
ポロン、ポロロン。
流れるような旋律で。
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- 2014年11月19日
シェイクスピアの戯曲、第十二晩目の出来事。
舞台の上で演じることを想定した、台本。脚本ともいうのでしょうか?
ほぼ台詞のみで物語が表現され、台詞ひとつひとつ、独特の言い回しが耳に残ります。
ユニークな掛け合いの連続で見えてくる登場人物の人柄、その目的、人間関係。
物語の中枢は、人間関係を元に構成されていて
その心の、意志のぶつかり合いが歪を、小さな物語の種を生み、
それらの物語一つ一つが絡み合って解け、大舞台の幕が閉じられる。
まるでパズルのようだとも思いました。
そうだ、物語はパズル。
登場人物はピースの欠片で、意志がその形を示し、
然るべき場所に辿り着くよう、舞台が動こうとする。
意志のぶつかり合い、ピースとピースの欠片がぶつかることで、お互いに生まれる動き。
欠片は役目を与えられた。例えピースが合わなくても、それ自体が物語を生む。
いがみ合いはスムーズな進行の足かせとなるが、
白紙のページに傷として残ることで、舞台にコード、音を響かせる。
その音は、物語の裏に隠されたメッセージを暗喩する。
ささやかな、ささやかな。
まさかと思った。
物語は、情景描写がなくとも物語になる・・・
役者たちが登場人物に成り代わってその台詞を詠み上げることで
かくも表現すべき舞台背景を演出することが出来るのか?!
彼の物語は、最初に登場人物ありき・・・
そのピースの欠片を、時の運命が彼らを動かし、一枚の絵画を築きあげるのだ。
Finaleは、見事な大団円であった。
運命の輪が、正しい位置に収まったのだった。
ここまでの物語の経緯に、人々の葛藤を思い、音楽を感じ、時間の流れを共にする。
戯曲が戯曲である所以は、此処にもあるのか、と思った。
曲作りも似たような感じだ(‘ ‘*)
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- 2014年10月23日
テキスト音楽サクラ(TextMusic SAKURA)のソースについて
⇒ http://oto.chu.jp
テキスト音楽サクラのMMLファイル。
同じ曲を再現するにも、その描き方はもう色々です。
「ドレミ」のストトン表記で書いたり
「cde」のアルファベットで書いたり
予め音色や音量やリヴァーブなどの設定を指定しておいたり
パートごとに別けて書いたり、色々。
決まった描き方がないから、人それぞれでバラエティの富んだソースを垣間見ることが出来ます(サクラの曲掲示板にて)
そういう人のソースを覗き見て「これいいな」て思う部分を取り入れつつ、自分なりの描曲のスタイルを確立していく。そうやって始めたての頃から、自分なりの曲の描き方を定着させていってました。
で、後から当時のソースを見るに・・・どれが何の音なのか分かりづらい。
どういう感じかというと、ちょと簡単な曲のソースを載せときます。
以下長文
>> 続きを読む
昔、かなり昔。8年前。まだ曲を作り始めて2年位の頃。
とある楽曲投稿サイト経由なのか、こういう質問を訪問者からいただきました。
「MIDIでここまで作れるんですか?」
「使ってるの内蔵音源なんですか?」
そのときってMP3投稿が主流で、高品質な音源、作曲ソフトとかいろいろ推奨されてた時代。しかし当時の自分は未だにデフォルト音源で、無料のシーケンサー(サクラMML)で作ってた。いろいろ珍しいかったんでしょうね。
その方は、かなり熱心に質問されてきて。
「〜いろいろ音源弄ってみたら」とか、「DAWが、ミックスが・・・」って、
当時の自分ではよく分からないこと仰ってて、逆にこっちが学ばせて頂いてたんですが。
「なんで無料でそこまで出来るの?」
ていうのが、その人の質問の核心部分だったみたい。
当時は、答えられなかった。なぜなら、作曲ソフトとか音源がどういったものか体感出来なかったから。
今、ひととおり体験してみて思うのが、音の再現度よりは、まず音の自由度かなって。
音を並べるときの軽さ。身軽さ。旋律が自由に描ける身軽さ。それが曲の創造性に現れて、囚われず、流れるような音でいろんなかたちで表現出来るよって。
高機能な作曲ソフトって立ち上がりとか動作が重いんだ。
高品質の音源扱って、その音データを呼び出しながら譜面を制御して、鳴らす。
一挙一挙の挙動が、音そのものを取り扱うような動作が、とても重い。
その重みが、たぶん直打ちする人からすれば、曲に現れてしまうのだと思う。
どうしてもベターって、単調な音しか出せなくなってしまう。重いから。自由に動かしづらい。
これ、リアルタイムに演奏して打ち込む人なら大丈夫だと思うのだけど、
私の場合はね…楽器ないから。。。
一方で、MMLの場合は非常に軽い、とても軽い、めちゃくちゃ軽い!
メモ帳を開く感覚で開けて、文字を書くのと同じように音符を並べることが出来る。
むしろ、文字が音符の代わりになってる。細かな音量の調整も前もってプログラミングできる。
音の長さ、音符、音の強弱、ゲート、音量、エクスプレッション、モデラート。
一瞬で描ける。あらかじめその形を指定できる。あとで一括で変えられる。偉い!!!
一つ一つの音を並べて調整するのが、Logicだと細かく出来る代わりに100くらいのエネルギーを消費するのを、MMLだと10程度の労力で十二分に再現できる。この軽さが、旋律に自由度と音の再現性を格段に向上させている。けっして、有料ソフトで高機能だから優れている。というわけではないというのを、身を持って学んだのでした。
きっとそういうことですよね、あの質問の答えも。⇒適材適所。
ギアチェンジ。の感覚を思いました。
最初から本番用でがちがちのシステムでやるのじゃない。
線画用のシンプルな動作で、譜面をまず作成した後
あとで、音の高音質化、優秀なエフェクトを加えたり、ミキシングしたり、既存の音ファイルを取り込んだり。これらは分けた方がエネルギー効率がいい。
・・・
もちろん。私のやり方の場合ですけど・・・
いきなり音ファイルずらって並べてミックスとか、すごいよな〜。
そういうの出来るだったら、Logic一本でもいいよな〜。
たぶん、好みの問題でそういうのは避けてるのかもしれない。
どうしても音符を並べるのが=作曲だと思い込んでるフシがある。
音ファイルそのものをつなぎ合わせるのは、あとで応用効かないから好きじゃないのかも?
MIDIがあると、自分の場合安心で、イメージの再現性が半端なく優れるのです。軽いから。
最悪、大元のMMLファイルだけバックアップしておけば1曲わずか数十kbの容量しか食わないから。
それがあれば、再現はLogicを通していつでも出来る。
ミックスの方向性も、大元のMMLファイルを残しておけば失敗したって問題ない。
この軽さが、曲の自由度と再現性を向上させていた。。。
過去の曲。2004年から2008年まではサクラMMLでした。この頃の曲は今でも気に入っている。
しかして、2009年から2014年までLogic一本でやってました〜。音質は向上したけど、いまいち音に魅力がない?というのは、こういうことだったのかもしれませーん。しかも更新頻度が滞った。
最初からLogicだけ触ってても上手く曲を作れなかっただろう。
私が曲として音楽データを残せるようになったのは、シンプルなサクラMMLのおかげ。それが今、やっと実感出来ました。サクラMML復活させて、また以前の更新ペースに戻すのを決意する。
とりあえずMac用のサクラMMLが開発されるまで、WindowsXPを引っ張り出してくるのであった。