鹿さんのお肉を頂いてます

近所の方に分けて頂いた鹿肉。
山の緑々しい風味が宿って美味しい。

近くの生きてた鹿さんを獲って、食べやすく捌いて、味噌?に漬け込んだの、生で頂いた。生肉ですよ生肉!

曰く(‘ ‘*)

美味しいだろ?
この辺の草を食べて育ってるから臭みがない、そこらのとは全く違うぞ?

あのね、鹿さんが生きてた頃の光景が、ふんわり浮かび上がります。緑を美味しく食べてたの、鹿さん。美味しい…その鹿さんの人生をぶすっ!!!!って終わらせて、私の糧になったの。

ぁあ、私の食べた鹿さんの命で、今日の一日が動くのだな。
そんな思いなのです。
貴重な一日、鹿さんから頂いた活動エネルギー、無駄にはできない思いなのです。

鹿さんは、もっと緑を食べたかった。うむ、その悲願を受け継いで、今日一日とまた、緑を植える日々となる。 

鹿さんを食べて鹿さんの願いを叶えるよう動く。何となく。


一日一日の記憶は永遠に

新しい暮らしを始めてから一日として同じ日がない。確実に積み重っていくものがあります。
だから、その日にあった事を鮮明に思い出せる。
そのとき、何を思ってその作業をしたか。

土地の状態が日々変わる毎に、記憶の層が蓄積されていく。

眠ってる時に見る夢もそうだけど、記憶とは、ある特定のきっかけで、ふと思い起こされることが多い。
秋の匂いを嗅げば、その季節の印象的な出来事が…音楽を聴けば、その曲が流行ってた頃の想い出が…
特定の何かが繋がって一緒に思い起こされる。それが記憶。

自分の世界をもって、自分の描きたいイメージに向かって日々進んでるとき、その工程一つ一つに想い出が宿るものだ。

今日は草刈りがきつい。
この日は調子がいい、すんなり進む。
草地が綺麗になったら土を耕していく。
そして種を蒔く。芽が出て地表に顔を出し、冬を越してその種は成長する。

雨の日はのんびり本を読んだり、そんな日も、あの子たちは日に日に大きくなっていった。

春、穂が付き始め、新たな作物の種を蒔く。
どんぐりの木も植えよう。

木は年を追う毎に大きく成長し、落ち葉を散らして土を年々豊かにしてくれる。
一年ものの作物は実り、次の種ができる。数年後には木の実が、木は何十年かを経て大樹になり、さらなる恩恵をもたらす。

そのとき、きっと次の世代の子どもたちが居て、これまで育ててきた世界を受け継いで、子どもたちの思い思いの楽園を築いていくだろう。
大きな樹木がいくつもの種にわたって伸び、世界は色んな種類の実を成して、美しい鳥達や動物たちを呼ぶかもしれない。

現代人の一生では追いつかないほど気の遠くなる話だけど、思い描いた夢に向かって確実に進んでいる。
始まりの時から一日として同じ日がない。

そのことを、実際に目の前にして感じ取れる。
だから振り返ったときに、その記憶の一つ一つが鮮明に思い出される。

あのときはこうだったね。
あんなふうに想いながら植えていたね。
今、立派に実をつけたよ。ほら。。。

人の一生は、きっとそういうものだと思う。
一日一日が新しく、未来の実現に向かって少しずつ進んでいってる。
だから日々喜びがあり、人生が充実して行くのだろうと。

私の一生は、共にある世界そのものが記憶する。
振り返れば、いつでも思い出せる。


用意された選択肢以外に目を向けよう

普通に生きてたら、なぜ望む人生がやってこないのか。
原因はとってもシンプルだった。

世界中のあらゆることから自分で探し出すこと(望みに目を向けること)を忘れてしまってるからだ。

気づけば与えられた選択肢に甘んじてばかり…とか、あかん。最初から与えられた選択肢しか見ないで選ぶというのは、自分で人生を決めているようで、実は誰かさんのレールに沿って動かされてるに過ぎない。

世の中便利になっている。
お金を出せば何でも手に入る、という風潮。
だけどもそれは錯覚で、並んでる商品棚の中からしかモノを選ぶことができない状態。ずっと既製品に慣れていくと、自分で一から創り上げることを忘れてしまうの…
社会は、誰かの作ったものに縛られて生きていかなくちゃならなくなった。

食べ物は、コンビニやスーパーで買うしか選択肢がなければ、保存料ばかりの機械的な食品がほとんど。。でも現実には自分で野菜や穀物を育てることができて、そうしてできた実はすごく美味しいし、身体を元気にしてくれる。
まぁ、最初慣れないうちは大変なんだけどね…

毎日同じような選択肢で生きてると、感覚が鈍ってくるの。
日常に少し、冒険を取り入れてみるといいの。
いつもと違う道を通ってみる、いつもは読まない本を読む、違った発見がある。
すると、日常の選択肢が少し増えてくる。そんな日々を積み重ねる。。自分で知らない道を開拓していくの。大変かもだけど、そうして進んできた経験は全てが自分の糧になってく。全く違った人生を歩めるようになる。

自分から、少しずつ望んだ未来に近づいてく!


世界には、望むもの全てが内在してる

世界には、望むもの全てが内在してる

あらゆるモノが、全てが、この世界に、自分の中に存在してるのを感じた。
この世界は、インターネットの検索ページに似ている。
自分の見定めたい視点でサーチすることで、世界中の全てから狙いの検索ワードにあった情報(存在)が絞り出されるわけだ。

土地が欲しかったから土地の情報に行き着く。自給したかったからそれに合う土地に行き着く。場所も望んだその近辺に焦点が絞られる。結果、前の記事に描いていたような結果が起こった。

その土地は昔からそこに在った。
現実になかったのは、当時の自分自身というだけのこと。
なぜ、その時の自分に望みが叶わなかったのか…振り返ってみると、確信できることがあります。

望みを叶えるのに必要な情報(検索ワード)を想像できなかったこと、その一点に尽きる。

美しい世界で生きたい、この曖昧な望みをどう現実化していくか、当時は想像が難しく。だからこのインターネット上だけで、創作してたのかもしれない。
長年思い続けるにつれ、少しずつ現実的なこと、食べ物を自給することだったり、土地を手に入れるだったり、暮らしに必要な知恵だったり、そういった視点に行き着いたのだろうと思う。

望むものは、すでに存在してる。
必要なのは、そこに行き着く方法だけだ。


望んだことは現実に

これは偶然だろうか?
と考えたことがあった。

手にした土地は、自分を待っていたかのようなタイミングで現れた。

 
遠慮なく自分の進みたい方向に行くために、いろいろ制約の多かった婚約者と別れる決意をした日と、土地の売りに出された時期が重なったこと。
価格が、自分の購入できるギリギリの値段だったこと
滅多にない購入申込みが重なるや、わずかに早かったお陰で手に入れられたこと。
隣に誰も居ないこと。空き地があること。いずれ広げられること。
現状の瓦礫を除いて、求めてた条件にすべて当てはまったこと。
近くにたまたま恩師や同志が住んでたこと。
悩まされてた皮膚炎に、近くの温泉の効能がダイレクトに効いたこと。
生きた湧き水があること。

 
条件ピッタリ、+自分の意図しない部分にも望み通りの現状が。

偶然?

 

と言っても、長年望み続けてたことなんですよね。
土地は5年以上も前から。元はといえば自給自足を志してたからで、それも自分の望むような生き方をしたかったから。面倒な仕事して食べモノを得るより、生きるのに最低限必要な物(食べ物とか)を思うままに作れたほうが、後は好きなように暮らせる!
こういった前提があって、望んでた。

ファンタジーのような美しい世界で、美しい生き方をビジョンに。
現実離れした光景、新緑と空と水と草花、木の実、色とりどりの森の景観。
そんな世界を創りあげて、のんびり暮らすのです。

 
と、このサイト作って10年くらいだろうか。
そういうふうに思い描いた幻想を形にしてみたくて。
しかし現実に形にするのは難しく、ずっと夢の世界に思い描いたのを。曲を作ったり言葉を織ったりして積み重ねてきた。

感性が現実周りとズレてるの分かってたんで、そういうの気にならんように最初は独自の世界で。仮想世界は素晴らしい、ネットを通してちょっとずつ広がった感じ。
 
 
今、その夢が現実に、実際に形にできる場を与えられた段階。
始まりの一点が、この日この土地この場所で、偶然を装って生まれたのだろうって、
何となく思いの行き着く。

 
もともと望むもの
自分の世界に内在してた
すでにあった

形にできるタイミングを待っていた