醗酵の起源

色々と通説はある。

お酒は、はるか古代から存在していた。
現代文明のもっと以前から存在していた。
なぜそれが作られるようになったか。

考察の一つを記しておこうと思う。

 
古代では「収穫物の一部を自然に捧げる」風習があった。
来年の種まきに備えて、全てを収奪するのではなく、一部を残しておく。
そうすることで、来年もまた実りある年になる。

という、極当然のことをしていた。

 
古代の人々は、現代の方たちよりも見えない存在の影響(微生物や宇宙的緩衝のこと)
を、当然のように知っていたであろうから。
そういう意味では、古代の人々ほうが賢かったであろうと思う。

ある時、収穫した一部を自然の神棚に捧げる際、それがどうなっていくのか。
じーっと観察する人が居たのだろう。たぶん、集団のリーダー格の人。月詠の人。

葡萄でも、お米でも、麦でも。

じーーーー。。(o _ o。)

 

すると何時しか、何かスゴイことになったー(。◕ ∀ ◕。)ノ
とか、つまりは醗酵が起こって、その有用性がすごくて
当然のように皆に受け入れられたと。
古代の人々にとっては、自然の力がもたらした恵みですね。

独り占めせず、収穫物を生み出してくれた大地に感謝して一部を捧げる。
そこから生まれたものだと、感じてます。

私も、最近育ててるものがあって
お米を全部食べるのじゃなく、一部を瓶に捧げることで
瓶の醗酵が急激に発生するようになりました。

これ ⇒ 玄米乳酸菌の育て方
 

現代の人はどうかな?
収穫物は、全部独り占めしてない?
きちんと一部を自然に返してる?

古代の人は当たり前のようにやっていた。
私達も見習うのです。それが自然の行いですね。


鳥はのんびり歌っているのです

鳥はのんびり歌ってるのです。
植物はしずかに芽を伸ばすのです

人が急いで何かしても、環境が追いついてくれない。
仕事は忙しくするものじゃなーな。

準備のほうが大事だ。
実行はゆっくりでいい、準備が大切だ。

と、木々の梢の間で思いました。
木漏れ日が風でざわざわ云ってます。


自分が中心でなくなる時

少しだけ思い知った痛み。
この身体は何のために形をなしてくれているのか。

そのとき、思った。
自分より大切なものがあるのだと。
その為に、自分の人生を使うのだと。

身体はツール。
食べ物も水も音楽も。
環境も。

 
それら全てが力になってくれる。
この人生で何を為そうというのか。


芸術は創造の導き

人の評価というものがある。
これは、大して重要なものではない。言わせておけばイイ。
作品としての良し悪しもどうでもいい。
 

アートの根本には、表現したいという想いがある。
その想いの種が、想像上の海に響き渡り、
現実に再現するものとして結果的に出来上がったモノ。

それが作品。

 
人は作品を見て、それに心打たれたり評価したりする。

真に意味を成すのは、その人が表現したい想いの部分を見ること。
それによって、作品をとおしたコミュニケーションが生まれる。

 

作品の出来しか見なかったら、上手い下手でしか判断しないじゃないですか。
でも、そんなところで判断しても無意味。

それって単にソフトの慣れの問題だし、技術的な問題。
私がLOGICに転向して直後、音の表現がうまく出来なかった例からも。
其処は後からいくらでもカバーできる部分。

子供の絵が未熟だと、侮る事なかれ。
 

見てほしいのはもっと根幹です。
想いなくして芸術足りえず。

 

その作品の在り方は、表現者の想いで決まる。
誰もが本当に見て欲しいのは、其処だと思う。


木の音、木の言葉

木は、私たち人間から見て我慢強く見える。
何をやっても動かないし、何をやっても黙ってるようにみえる。

私たちは、種族間を超えた音のやりとりを忘れてしまったが故
木は物言わぬものとして、認識していたのだろうか。

 

夜明け前、散歩に出かけてお気に入りの木々と話してきた。
確かに人間の言葉は話さないが、木々の根が地面を伝い、風を呼び、木の葉をざわめかせ
雨のしずくの滴る音で返事をしてくれたのを、私は聞いた。

木は、人の言葉を認識している。
そして、木は、人に比べて時間の流れがゆっくりだ。
木の脈動は、人間のそれよりもゆったりしている。

だから、私たち人間から見て、それは我慢強く見えるし、
忙しい人から見たら、木は全く動かないようにも見える。

 

実際は、時間の流れ方がお互いに違うだけだ。
同じ時を生きていて、感じてる流れが異なっている。
だから、人と木は、お互いに見ている場所が違う。

木の視点では、人の時間はあまりに早すぎて、あまりに儚い。
それは軽く息を吹きかければ、すぐさま何処かへ飛び去ってしまうほど軽い。
人の一生は、木の何十分の一、何百分の一なのだ。

 
だからもし、木とお話するならば。
覚えておくといいかもしれない。

できるだけリズムを合わせるのだ。
忙しい日常から一時でも離れ、木の呼吸のリズムに合わせる。
ゆっくりとした時間の流れを感じ、静かに低い声で、やさしく語りかける。

すると、木は聞き取りやすい。

 
種族間の違いがあっても、言葉は通じる。
言葉は音。想いを乗せて運ぶもの。

純粋な意図をもって、クリアに響かせれば
きっと誰にでも通じるだろう。

伝えたい、心の底からそう思うのだ。
そうすれば、相手に合わせることが自然と出来るようになる。