PCと生きた本のイメージについて
生きた本について2
パソコンのデータは永遠だと思ってたよ(‘ ‘*)
そうか、まだ数十年やそこらだもんな。
しかもその間ですら、記憶ディスクの規格が変わったりosの仕様変更だったり、で、データ扱いづらくなってるのも拍車。
未来に残すのは、コレじゃない感。
音源やってるのも、低コストPCで楽に曲作れるようになって、次世代に託せたらな~と思ってたのでしたが、
方法が間違ってたんですね。。
独自性、扱えるの私だけだし。
こんな時代遅れの技術は、私の人生と共に消失する道しかない。
うすうす気が付いてはおりました…はい。
なぜ、経年劣化を当然とするシステム構築に人生の大半を費やし、無駄死にしおって尚、その続きを子供ら世代に押しつけようとしてたのだろうか…
決して安くないお金が、メーカーとかにどんどん流れ、端末数年スパンで消費してガラクタを積み上げ、しかもそれなしでは仕事も、生活もままならなくする。
確かに記憶データ場で、様々なイメージを保存したり気軽に再現できるのは捨てがたいし、画期的とは思うけど…
短時間で、遠くに飛ばす。
とり言語の延長。
通電しなくなれば、霞のごとく消える。
情報を扱う道具として。
これほど寿命の短いツールはないのでは…なかろうか。。
古代の人は、水を記憶装置の役割として扱えてた、という記述があるくらいで。
今はない?
生きた本。
その樹は、そこに植えられた樹は。
湧き出る水たちは。
泳ぐ魚は。
目から入ってくる情報で終わらない。
触れて聴いて、確かめることができる。
意識を注ぐべきものは、もっと身の回りに在るのではないか。と振り返ってみたりしてます。
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