音楽は必要なくなる?
音楽は必要なくなる?
文化が成熟してくると、音楽が必要なくなるという意見にも出会った。
感覚の邪魔になるのだと。
自然や虫、鳥の声が、音楽にかき消される。
音楽は素晴らしいけど、ずっとそれだけを聴いてると忘れてしまう。
自分の感覚が、全身で感じる感覚が鈍る。。
農家にとって、自然の声を汲み取れるかどうかが死活問題になる。
私の師(お米づくり農家さん)は、ある時から音楽を聴かなくなったそうだ。
その理由を、上のように教えてくれた。。
これまで、懸命に作ってきた曲たちが、一切不要とされる未来を見た。
曲を作ることを生き甲斐とした、自分の存在意義とは?、?
調律の動機の一つはここ。
音楽がただの雑音とならないために思考錯誤した。
確かにそれとは別に聴きたい音がある人からすれば、雑音でしょう。それは当たり前のことであって、その人が必要としていなくても他に必要としている人はいると思いますよ。
でもひとつのテーマとして、聴きたくない人でも自然と聴いてしまうと言うよりも自然に聴こえている、つまり「いつ聴いても雑音にならない音」と言うのは面白いかもと今思いつきました。
鳥のさえずりや川のせせらぎなどはいつ鳴っても耳障りに思う人は少なそうな気がしますね。
あれは何故なのでしょうか?慣れですかね?
なにか沼に片足突っ込んだ気がするのでこの辺りにしますが、私は日々様々なことを考え試行錯誤して産まれたるとさんの音に興味があるので、その過程が垣間見えるブログをこれからも楽しみにしてます。
コメントありがとうございます(‘ ‘*)
なるほど、確かにです。他に必要としてる人は居る。
今回のは自分の思い描く世界に自然との共存が不可欠で、その視点で見たお話でした。
自分もよく思考の沼にハマります(‘ ‘*)
一時期調律で数字だらけになってしまいました。
実際に鳴らして確かめる方が確実なのに。。
僅かな違いを聞き取れるか、自信がなかったのもあります。
どうしてなのか…
存在することの安心感なのだろうか…
その音で響いてくる気持ち。うーむ。
のんびり確かめていこうと思います。