2019年自然災害から感じること

台風、通り過ぎましたかね。
。。。はぁあ。。。何て危ういんだ。。。

食べるものがないと生きていけない。
そんな当たり前のことが、食べたいものが買えないという事実が。突き刺さる。

お金。

 
アマゾンの森林火災。
ロシアの森林火災。

気流の乱れがすさまじい。
地球規模の大災害の片鱗か。
 
 

ちょいと話長くなるよ。
暇な人だけ流し読みしてってください。

まず、これまでに培った、経営者視点の話をしてみる。

お金は、単なる解決手段の一つ。
生活の細々したこと、例えば炊事、洗濯、掃除、とか。
日常の雑事に囚われること無く、好きなことだけに時間を費やせるようになる。

そのためにはお金を稼がねばならないが、好きなことでお金稼げるならその方が良いよね?ってところ。

 
私はその考えに大賛成なんですよ。

ずっと街中で暮らしてた感覚が染み付いてる、好きな音楽で食べていけるなんて素敵じゃないですか。

そんな暮らしが成り立つのは、田舎で、大変な思いをしてお米を作ってくださる農家さんだったり、野菜を作って出荷してくださる様々な方の力添えあってのことなんだけれど。。

 

ただ現実に、田舎に来て、農の実情を肌身で体感した。ら、
そんな暮らしの危うさを、同時に味わうことになった。

私の棲む場所では、米作りを行う平均年齢が70歳以上のお年寄りばかり。
しかも機械や農具メンテナンス代を合わせれば、採算の合わない事業。赤字。

そうした実情の上で、日本人の主食「お米」は作られてる。
あと10年もしないうちに、自国の稲作文化は滅ぶかもしれないね。

で、今回の台風。そんな稲も、ばったばった倒れて収量減ってるでしょ。
東北の震災から始まり、九州の地震や洪水、北海道の地盤崩れ、そして千葉、関東方面へ。

生活の基盤「食」を賄ってる所中心に被害受けてる、食べ物の確保、もう宛にならなくなってきてる。
小麦を大量湯流する? 薬漬けの遺伝子組み換えの畏れのあるような、犬の餌みたいな扱いのアレ。

 

此のご時世の有様を馬鹿みたいに思うのよ。
そもそもお米って、田んぼってふざけてるよねって。
年がらお世話しないと食べていけないような、貧弱な作物。よくこんなもの主食にしたね?って。

手作業で体感するよ。春に種まき、あ〜んな広大な面積の土耕し、苗植え、水の管理、そして延々と草取り。
やっと収穫と思ったら、今度は掛け干し、脱穀、そして籾摺り。これでやっと食べれるようになる。
のに、保管方法を失敗したら露にはカビが来て捨てなければならない始末。
 

機械で管理してるから、一見楽に出来てるようで居て、その機械代というのが500万とか、馬鹿みたいに高い。
そんなん機械導入のコストで、働きに出らんと無理やわ。アホか。

こうして苦労して作られた日本人の主食は、どうもね、無理が来てる。
やっぱり此処に原因があるような気がするんすよね。

 

田舎で延々と米作りとか、嫌になるよ。
街中で、食べ物自動配給されながら好きなことだけで暮らしていたい。
面倒なことは全部、親世代にでも押し付けてね。。

て、高度経済成長期より、都会に出た人は思ってたんじゃないかなぁ。

 
 
なんで、あんな労働しなくちゃいけないんだろう。
っていう仕組みが、日本の稲作文化というのが2000年来に渡って続けられてきた。

私は今までお米食べて育ってきたから、お米の美味しい料理法しか知らない。馬鹿みたい。
山にはもっと、たくさんの恵みがあるのに。。わからない。。。。

 

食べ物が自動的にできて、好きなときに食べれて、後は好きなことだけやって生きていける。
そんな場所は、間違いなくあると思うんですよね。。。私はそれを実現したいと思ってる。

この間、ちょびっと放した食べられるドングリ(マテバシイ)もその一つ。
あれ、人は一切の手を加えていないのに、秋になったらたくさん落ちるんですよ。生えてる山で。

リンゴやミカン、アーモンドや胡桃、そういったものも勝手に成って食べれるようにできると思うんですよ。
三つ葉とか、大根とか、春の野草とか、勝手に生えてくるんですよね。。銀杏とか柿とか、勝手にできてますね。

 
食べられるものの見極めさえできれば。。

 

ね、なのに、稲作文化の発展以降、そういった山の恵みが軒並み田んぼに変えられてしまうじゃないですか。
お米しか育てない、お米しか食べない、単一、単作、それでもって労働必須。そんな仕組みに変えた世代、子らは従うほかないという圧力を携えて。村社会。

日本人はよく働くね。
って、あれ。褒め言葉じゃないからね?

 

そういった内心、めんどくさいキツいやりたくないが、時が経つに連れ、機械化、都市への人口流通。若者離れ。
そんでもって、食べ物は他人任せで、自分は好きなことだけやって生きてく!

年々、見捨てられていく山々、田んぼ、が、もっと稼ぎの良いマンションとか駐車場に置き換わっていく。
コンクリート付で、呼吸のできない土が死に、水の通り道が塞がって洪水リスクが上がる。コンクリート堤防でせき止めるは良いものの、それが決壊した時の大惨事は避けれられない。

ああ、原発とかいう爆弾もたくさん設置されましたし。
今度は5G通信規格で軒並み殺しにかかりますかね。受粉に必要なミツバチたち。退避させないとね。あの子たち電波嫌いだから。

 
ああ、そもそも現行の田んぼは水の流れを殺してるし、水利権の争いも産んでるね。そんで
どっかの水がせき止められたら機能しない危うさも兼ね備える。だから村では集団行動必須なんだよ。一つでも乱したら全体が機能しなくなるから。

馬鹿みたい。。。

 

 
お金で解決するって良いですよね。簡単で。そういう面倒事から全部解放される。
私は、街中に暮らしてた感覚でずっといるから、今もそう。

そんな大変な米や野菜作りなんてまっぴらごめん、勝手にできればいいと思ってる。
人間が、ずっと栽培を続けてきた歴史が、もはや人のお世話なしには育たないような貧弱な食べ物しか見えなくさせてる。

日々の糧を得るための労働だけでは、それ以降の発展を考える余力を与えない。
そんな雑事はどうでもいい。金の力を使ってやるべきことだけやる。

こうして日々の糧を、他人に依存しながら、勝手に実のなる木が育って、果物やナッツができて、野草やハーブが充実して、お花が咲いて。
台風や災害の意味を考えながら、豪雨や地震、暴風をものともしないような、場所になってほしい。。

 
 

3年。経ちました。
何も出来てない。ゴミ拾いくらい。

背丈ほどもある硬い雑草、笹で埋め尽くされ、通行不能で、何か植えるどころではない。
ゴミが至る所に打ち捨てられてる。

 
こんな場所を誰が引き継ぐんだ? 先代???

 

私も非常事態では飢え死にかもしれないかな。楽に食べられるようになるまであと何年かかるんだろう??

 
このまま日本滅ぶかな??

 

て思いつつ、日々の糧を親しい人々から支えていただいて、
遊んで暮らしてます(o _ o。)

そろそろ曲の依頼を再開するかな。

 

謎。


“2019年自然災害から感じること” への2件のフィードバック

  1. スタードロップス より:

    そうねー

    やりたい事が明確にあって、それが直接的に暮らしに関わらない人は、そうなのかもね。

    生きる事、暮らしそのものが作品で、それを創造的に生きる事が喜びの人は、日々の当たり前の雑事が雑事ではなくて、大切な愛しさに満ちた事になるんじゃないかなぁー

    大切に思えない人にとっては、どうでもいい雑事で、無くしてしまいたいものなんだろうね。

    人によって、大切に思うものは違うから。

    そんな価値観が違う人達が、たくさんいるから、凸凹が組み合わさって調和し豊かに出来るんじゃないかなぁー

    みんな同じだったら、面白くないよね。

    やりたい事を存分に全力でやりたい。
    そう出来るように環境を調えたい。

    少しづつだけど、確実に出来ていってるんじゃないかな。

    職業が作曲家だけじゃない。
    いろんな部分も全部ひっくるめて職業るとでしょ(笑)

    もうすでに全てに自分が反映してる。

    田んぼの在り方。
    食の在り方。

    どんな方法がピッタリなのか、心をまっさらにして根本的な部分から考えていきたいね。

    きっと、田んぼも不安定。森も不安定。
    この世界にずっと変わらないものなんてないし、命そのものが、生きてる時間そのものが、いつなくなってもおかしくない位な当たり前じゃないものなんだろうから。

    変わりゆくもの。
    その時々に応じてくしかないのかなぁー

    そんな事を思った記事でしたー

    • Akino より:

      ありがとうです(‘ ‘*)
      考えながら、音楽作品にしても、日常のこと全部現れる。
      日々の暮らしから作品が生まれてくる感覚は、つい最近知りました。

      作品作りと、生活に、境目がなくなっていく。
      大切な時間をともにするために、なるだけ大事なことにだけ意識を注げるようになりたい。
      少しずつ、整えて、いけてるようです。

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