創造するということ(8)-自分の生活空間と自分の身体は同じツール-

自分の生活空間と自分の身体は同じツール


赤ちゃんにとって、自分の身体と身の回りの生活空間に明確な線引がない。 自分と他との区別だって、最初から存在しないみたい。

身の回りの環境は、自分にとって身体に等しいツールであり、神様から与えられた創造物だ。 神様という言い方に距離感があるなら、身近な存在である両親から。と言い変えてみる。

両親の遺伝子が合わさって受け継がれた肉体を与えられ。
同時に両親が形作った生活空間が、赤ちゃんに与えられた身体同等のツール。 2つが合わさって、赤ちゃんは与えられた世界の中を、その全てを使ってを自由に動き回る。
神様の創造物を楽しむために
そして、創造の喜びを体現するために。


もしも子育て、或いは創造に関して、何が重要?と尋ねたら。
それに相応しい場をイメージすること、環境を創造することだ。という認識になるのかもしれない。

環境が、第二の自分の身体。
周りの全てが、自分の身体の一部。


そのように意識して、今。自分の生活空間を振り返ってみる。 第二の自分の身体は、どのような状況になっているのだろう・・・?と。

それは、自らの創造性にふさわしい身体になっているのだろうか? 必要な物が揃い、それらは自分は全て把握してるだろうか? 自分の身体の機能を細部に渡るまで把握し、動かすことをイメージできるだろうか?

そんなふうに考えてみるのです。



すると、小さな蝶の羽ばたきが渦を産み出すように。
自分の実態のある身体の、細やかな動きによって、第二の自分自身・・・生活空間がどう変化するか? というのを、意識できるようになり、その空間が、ホントに自分自身の意志によって自在に動くようになる。
のではないか。と、感じるようになりました。



それには、その環境を自分自身と同等に愛することと、細部に渡るまでそのイメージを把握すること。 作曲ソフトで言えば、音色バンクの全ての音を把握し、コントロールチェンジの微細な影響を性格に理解すること。 そして、それらのイメージが直ぐに取り出せる状態にあること。コレに尽きるのではないかと感じる。

「原子は隙間だらけだからね」

アンデルセンのマスターが言っていた言葉。 ちょうど、その喫茶店の空間において、それはマスターの第二の身体の中で 私たち観客は、奇想天外な世界観を魅せられていた。あんな感じなのだろうかと思った。


いわば、なんでもありだ。
その空間は、まるで夢に描いたかのように。
なんでも出来てしまうんだ。魔法じみたこと、想像できるものが全部実現化する。

それは、マスターが原子単位で自らの生活空間を描き出したからだ。 あの空間は全てが、マスターにとって身体の延長で、自らの意志によって自在に動くようになってる。

そんな感じの、空間は第二の自分。という意識を取り入れてみようと思う。 自分の望むイメージを創造するために、自らの身体の延長として、周りの空間を創造する。


次のページへ