創造するということ(1)-神の存在と認識-

神の存在と認識


7日目にして、神は休まれた。(聖書の言葉より)
それから、神は皆の前から姿を消したとあります。


一節によると、全宇宙の創造に自らの全てを注ぎ込んだため、存在そのものが・・・

。。。創造物に全てを注ぎ込んだため、姿すら見えなくなって・・・



しかし今、目の前にある全ては、神によって作られたもの。
その一粒一粒の粒子に、神の一部が宿っている。というふうに解釈してみようと思います。


劇場の舞台は3つの存在によって成り立っている。
以前、ブログで似たようなコトを描いた気する



まず舞台の構築者。
次に舞台を演じる役者。
最後に観客。



構築者は神であり、創造物である私たちはその舞台を演じる役者と同時に観客でもある。 何のために舞台が作られるか? それは、舞台自身の芸術的価値を楽しむため。

創造物に託された全ての想いが、 美しき価値の創造と、それを見る人に喜びをもたらすためにあると思える。


私たちは、神に似せて作られた。
だからこそ、私たちは何かを創造することが出来る。
新たな芸術的価値を、自分の想像の中で形にして産み出すことが出来る。

そうやって、次々と新しい創造物が生まれ、宇宙が美しい宝物でいっぱいになる。
そんなふうに、最初から無限の大舞台が作られている。


私たちの舞台は、大自然という足場の上で「自由」を与えられた。
決まった台詞や言い回し、行動を矯正させるものはなく、すべては自由。
神の創造物の中で、大いに舞台そのものを楽しめるよう悠久と時を与えられた。

神の意志は、舞台の創造物の一つ一つに宿っている。
朝露に輝く七色の虹、道端に咲く小さな花、新しい生命の芽吹き。
緑の木漏れ日から揺らぐお日様の光。温かな感情。
水、水面に揺らぐ空の情景、雲の形、雨の音、吹き渡る風。

風が水を運んで、大地に恵みをもたらす。
鳥、動物たち、お魚、蝶、小さな虫たち。


形作られたそれぞれが、何らかの役目を自ずから全うして。
その中に、創造物としての神の意志が宿っている。



私たちが本を読む時、色々な読み方があると思う。
なぜそれが書かれたか。考えることもあるが。
それが素晴らしい作品であるほど、本の世界に没頭してしまう。

没頭している。すごいすごいすごい。
なぜ作られたか?こんな素晴らしい想像を、形にせずにはいられなかった。
其れに尽きるのではなかろうか。。。


人間は、そこから新たな創造の種を内に育んで、先代の神と同じように創造する
そうして、歌を、喜びの言葉を、神の創造物たちに与えるべき個々の呼び名を誕生させた。


人間に託された先代の神の役割が、人の手によって再現されていた時代の出来事。



そんな生命のあふれた最初の星を、仮に地球とします。
美しい星。その創造物の一つ一つの中に、神を見出すことが出来るだろうと考えるのです。 そして私たちも、そんな無限の創造の中で新たな作品を生み出すことが出来るというものです。


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参考