真言

上辺の言葉は、無残にも通りすぎてくよ。
誰とも知らん、他人の言葉が響くかぇ?

少なくとも、その人の生き様と、何を想って書いてるのかというのを平行して
言葉の背景を通して読み取ろうとしない限り、その真意を読み解くことは出来ない。

 

どんなに有名な人の言葉も
周りの人が築いたイメージも、
今話題のあの人の記事も

その先入観は、まやかしにしかならない。
 
 
 
その人の生き様を見て、
実際にやってることを見て。
本当のその人の心情を感じて。

心で感じながら、言葉を読み解いていく。

 

そこに、真実が視える。


囲いの扉

鳥かご。囲いの扉。
それは家、私たちの家みたいな。

私たちの居た空間は、かつて「無限」に続いていた
人々は、そこに囲いを作り、無限との境界線を引いた。
有限の柵の中で、「未知」という不安を追い出し、自分だけの空間を持った。

しかし、無限という可能性を絶たれた囲いの中では、その中でしか生きることを許されない。
鳥かごに囚われた状態で、何も変わらない、何も変えられない退屈な日々を送る。
新しい風も吹かず、ただ、その中でのみ産まれ、生き、死ぬのだ。

かごの中の鳥。

 
大きな一つの街に境界線、ガラス張りの壁で外界との出入りを絶たれ、その先は何もない。
例えるなら、人間の作った文明、住処とは、そんな感じ。会社と家。囲いの中に居る。

限られた物質の中で、その現象を固定化したものだけを、時間の止まった美だけを、永遠の輝きとして、そこに閉じ込めようとした。
そこでは、死という醜い存在を許さない。時間の流れを、老いというものを、囲いの外にある未知の領域を、変わることを、本当の自由を、あれは、あれは望まないんだ。

 
かつての人間の一部が、自然界の創造物に対し、人間だけの力でそれ以上のモノを作れるはずだと挑戦し続けた。
自然と敵対したのは、自然の美に対する嫉妬からだというのも、或いは、万物との繋がりを絶たれたからだというのも。
あれはかつての楽園を自ら塗りつぶした後、全く違う方向性から、新たな楽園を築こうと奮闘した。
結果、先代たちの楽園を勝手に分解し、それを自分勝手に改悪して、自らジリ貧になってしまった。

 
無限への扉を閉ざした時点で。
自然と敵対し、内に閉じ困った時点で、
その運命は決まっていたも同然だった。

囲い込みを、囲いの扉をそろそろ開放するかね。
有限の世界は、これ以上創造しようがない。
どんなに素晴らしいモノも、固定化した時点で、
それ以上の創造物が生まれる可能性をすべて否定してしまう。

万物に、生と死を。等しく分け与えようか。
 
 
死するもの、かつての作品は、記憶となって無限の世界に灯り、いつでも書庫を開けることで、取り出すことが出来るものだから。
もういいんだよ。仮初の閉ざされた世界は、今にも死にたがっている。誰もの心の奥底から消えて無くなりたいと、苦しそうに、今。ほら。

 

簡単。囲いの扉を開けるだけでいいんだ。
 
 
家、ドアあけっぱなし
庭、広々、木々が周りを守護する。
天井、星。いっぱい


忌むべきは死じゃない、死を無視すること

カラスの身体は道路の真ん中に横たわっていた。

もしも、誰もが気付かず通り過ぎたら?
死を見ないふりしてたら?

if節を、ここで再現してみようと思う。
 

あの子の身体は、延々と車の脅威に晒され、恐怖の音に引きつり、安息の日は永遠にやってこなかった。忌むべきは死ではない、死の循環を断ち切らせたアスファルトの存在こそが、カラスを悪霊に豹変させようとしていた。
死体が幾重にもタイヤに踏み潰され、血がこびり付き、走る車が死の呪いをまき散らす。カラスから生まれた悲痛の叫びだ。だけど、あれはカラスの呪いのように見えて、実は死の存在を否定された地面の怨霊そのもの。アスファルト、が、あの概念を作った。

死を受け入れる土では、還った土から芽が出て実りを産み、果実が動物たちを呼んで生命の種を運んでもらえる。

が、

死を呪うアスファルトでは、死体がいつまでも転がり、車に轢かれて血がこびりつき、死の呪いが遠くまで運ばれていってしまう。

 

あそこは永年、生命の気配を感じられない。
地盤そのものが呪われているということ。アスファルト
コンクリートやセメントで固めたのもおんなじ。

まるで、死者の上に墓石で蓋をするように。
何でもかんでも、死という存在を見えない場所へ追いやっている。

 
そうやって、死の存在を無視する事こそが、本当に忌むべきこと。
誰もが、この悲痛な惨状を受け入れねば、未来へと希望を繋ぐことは出来ない。
生きてる人に気づいてほしいから、死の存在は呪いとなって人々に訴えかけている。

誠意を持って応えれば、あるべき場所に還ってくれる。次世代の力になってくれる。


カラスの埋葬

街の交差点の道路で轢かれた。カラスさんの身体。
を、拾った。

カラスさん、死者を祀る側だったのが、逆の立場になろうとは。

 
虚無感が突き刺さる。
いちど道路脇の草むらに寄せて、用事でその場を後にした。

 
みんなカラスの死体が見えてないみたいだった。

たぶん、地に足がついてないと観えないんだね。
あと、死?を目の当たりにするのが嫌なんだね。
あと、手を汚す?のも毛嫌いするよね。見なかったふり(。0 _ 0。)ノ

 
アスファルトは、死の存在を許さないから。
死者の居場所がないの。上の死体は土に帰らず、腐って呪いをまき散らす。
私たちの殆どは、アスファルトの地面の上で、死を見やる。だから、あれは忌むべき存在だと見て取る。

その行く末は悲惨、見てはいけないモノとして、死や悪霊の存在に蓋したね。

 

でも、ホントは、どこでだって死は土が迎え入れる。
土の中は死者の揺り籠、ちゃんと、生命の循環の輪に、土の子たちが還してくれる。

誰? その役目を土から奪ったのは。
死の存在を無いものとして、アスファルトの地下に封じ込めたのは?
 
 
死は生を繋ぐもの、本来の役目に立ち返るとき。黙って受け入れるものと理解する。
土が安息を与え、周りの存在たちが死者の想いを読み取って、嘆きの声を地上へと孵す。
死から、新たな産声を以って地上に産まれ、積年の想いを成し遂げようと、再びそれは動き出す。 
 

私はその場に戻ってきた。カラス。カラスの身体に触れた。
私はカラスの意志を抱き、土の子どもたちに委ねた。

カラスの森へ、山道の外れに谷間があり、朽ちた木の根本にその場所があった。
光が指して、綺麗な光景だった、木の葉の匂いと、遠くから、カラスたちの鳴き声
近くに、美しく立派な別のカラス羽が落ちてたので、土を掘った中に、一緒にして、埋めた。
 

死者の魂。彼の選んだ。死の寝床。
もう何物も、あの子の願いを妨げる者は居ない。


その樹は言った

観るも弱々しい姿で、地面から伸びていた。
周りの土はむき出しで、草がところどころ生えてるだけだ。
俺の何物も、その樹が支えてくれるというのは、中々に危なげな話だった。

それでも、俺にはこの樹が全てだった。

 
あれは、一人で全てを担うには不可能だと云う。
樹は、雑草たちに呼びかけた。
もう一度、土に。死する魂を、風の扉を。

様々な無念の想いを、死して尚、未練を抱くあの子達の想いを、我らに運んで来て遅れ。
 

死が、死する魂の、無念の想いが、この土地を揺り動かすとき。
全ての不安を、苦しみを、虚しさを、虚無な想いを、土は抱きかかえ、天に還してくれるだろう。

我らの土は、全てを受け止める。
無念の想いは我ら一つの元に集い、辺りの存在に響きあい、乾いた土に、水がどんどんと染みこむように。
天が、地が、雨が、太陽が、この乾いた心に染み渡る。我らに力を貸してくれる。

 
我らは、不安を共にする。その感覚を研ぎ澄ませて
すべてを、この地と、水と、太陽に、月に、委ねよう。
お前たちがついている。全ては、全てに委ねたる。