創造の源は愛なのか

大切な存在に分け与えたいと思ったとき
自分を高めることをする。心のすすを払い、一心に磨くことをする。

そうすることで、分け与えるものが光り輝いてくるから。
それが大切な存在のもとで生き続けることを思えば、手は抜けないのだ。

 
魂の込もった作品は、誰かの記憶の中で生き続ける。
この輝きは、色褪せることなく魂に刻まれるだろう。

 

愛が自分の大切な存在へと分け与えるものだとすれば
分け与えることは同時に、自分の存在した証を真に受け取ってもらうこと。
その記憶を、より光り輝くものにするために、自分のすべてをその一瞬に賭ける。

自分のすべてを、自らが手がける作品に込め、生命を吹き込む。
大切な存在に役立ててもらうために、それが自分の存在した証とするために。

 

分け与えることで、存在の証は積み重なっていくだろう。
故に愛は創造であり、その瞬間に自分のすべてを掛けて打ち込むものだ。

と、解釈するのでありました(‘ ‘*)


白蛇と龍の生き血

神聖なる泉にて。
その泉の前に、力を求めるものが居た。

彼は力を願った。
白蛇にそのお願いを託していた。
すると白蛇は泉の中に潜り、龍の姿になって現れたではないか。

人の背丈より少し大きいくらいの龍の姿。それは言った。
我の生き血を吸うが良い。さすれば我の力をその身に宿すであろう。
そう言った龍の瞳には悪意、明らかに別の意図を宿していた。
彼自身の心の奥に宿していた悪意が、龍の姿となって現れていたようにも思えた。

血を吸え。まるで吸血鬼のようだと思った。
これはもしや、龍の力に乗っ取られるということのか・・・
その血を吸えば、膨大な力を得る代わりに龍の力に支配されてしまうのだろう。

 
白蛇とは龍の映し身であったのだろうか?
聖なる存在ではあったと思うが、まるで泉のように。
その者の性質を映す鏡のような存在だったのだろうか。

白蛇が滅多に姿を表さないのは、常に何かを映し続けているからかもしれない。
純粋な白として現れるのは稀なのか。何かを暗示しているかのようだった。