誰が 何を いつ どこで なぜ どのように

3次元の位置情報がx座標とy座標とz座標で表されることの応用。
歴史の事実の側面を、

誰が⇒
何を⇒
いつ⇒
どこで⇒
なぜ⇒
どのように⇒

だいたい6個の項目で、埋めることが出来る。と思う。
それの組み合わせで、事実を表す一文が一個出来る。
この一文を組み合わせて、物語を作る。

一人の視点につき、一つの瞬間に一つの文章が生まれる。
それが、時の数だけあるし、関わりあう存在の数だけ形作られる。

×時
×存在

これらの数だけ事実を表す一文が出来る。
あとは、組み合わせる。

それによって、構築したい世界を築き上げる。
それが物語になる。

組み合わせ次第で、どのようにも描くことが出来るから
描き手で、真実の在り方は変わっていく。
それも一つの物語なのだと思う。


読書

書物には人柄が現れるな。って思った。
書いた人の視点が、書いた人の世界観が、文章で再現されている。

どんなふうにモノを見てるか、それを見て何を感じ、思うのか。
そこから、どのような理念で行動していくのか。

一つ一つ、見ることが出来る。
読書。

 
読書量の多い人は、もしかしたら
色んな人の視点を内包してる、優れた人になるのかもしれない。

。。

視点にもよるけど。

 

読書。

色々な人の人生、生き様を追体験する。
1章を一瞬で。

そして自分の中で物語を再構成する。夢の中で。


未来からの使者

特定の未来を知ってるものが居たとして
過去に渡り、その世界の存在たちに、予め危険回避を知らせる…

その結果、どういった結末が待っているのだろう。
という追体験をしてみました。

 

未来は、予言できるのか?
既に起こったことのように?

いんやー、無理だべ〜。

。。。

 
通常の視点では、障害を予測して避けるのは難しい。
難しいから、誰にでもその背丈にあった障害がやってくる。
それを乗り越えることで、今後、それを回避する実力がつくのだろうと思う。

 
未来を知ってる存在が過去に渡って
この時、こういうことが起こるから。
事前にこうしたらいいよ。ああしたらいいよ。囁くと

その場はいいかもしれない。
だけど、障害を乗り越える実力も無く、
ただその場しのぎの対処を続けるとどうなるのだろう。

 

すごく失敗する気がする。

失敗したのだろう。

 

実現したい未来があって、その道を進む途中。
今、目の前には、自分にとって必要な現実が訪れている。
その意味を、見ようとする。

因果応報かなぁ。

〜だから〜なる。
突き詰めていけば、分かるようになる。気がする
未来を予測するなら、相応の目線が備わってから。

現実を見る。


過去の歴史は無数に存在する

過去は絶対なるものだと、不可変なものだと今まで思ってた。
これまでの歴史は、1本道で、真実は一つしか無いのだと思ってた。

ほんとにそうか?

 
「いのちのまつり」という本がある。

本の内容は、お父さんとお母さん。

お父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんとお母さん。

お父さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お父さんとお母さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお父さんのお父さんとお母さん。
お母さんのお母さんのお父さんとお母さん。

先祖をまたぐことで、どんどん存在が増える。

一つの命は、たくさんの集合体の先端に位置するもの。と捉えることが出来る。
それが全てに当てはまる。

祖先を辿って行くと、何処につながるのだろう。
と考えた時、あらゆる存在に。起源に。大元の存在に行き着くのだろうと。

 
先祖のたどってきた記憶を受け継いで。今存在している。
過去は、過去はどうやって認識されてる?

過去は、思い出として、記憶として、誰かの目線で語られることで、初めて其処に現れる。
話し手で姿形が変わる、目線が違うから。

真実は一つでも、見方によって変わる。

 
例えば、過去争いがあった時代のことを、
勝者は正義、敗者は蛮族、と、勝者の視点で語られてきた。
これが敗者の視点で見たら、また違う歴史が語られることになる。

どちらが善悪かというのはどうでもいいが、
ここから分かる通り、歴史は一つではないのだった。

過去は、その時代に生きた存在の数だけ無数に存在している。
そのどれもが真実であり、どれか一方の偏った考えに固執してはならない。

 

過去は一つじゃない。
だから、これが歴史だ!と絶対的に示す書物を前にした時。
それだけが全てではない、と悟るのだった。

人の数だけ歴史がある。
歴史は、自分たちの手で形作ることが出来る。
その意味を、改めて考えるのでした。