システムは、誰もが自由に使えるようにするべきか?
DTM用の音源を構築していて思ったのが、このような手間なく曲を作れる環境であれば、要らない苦労をしなくて済むのに。でした。
音は何者にも縛られず、自由であるべきという理念で、あれからlinuxでも扱える音源を探しては一通り揃えておりました。
残念ながら大手のOSは今や論外な代物で、今や論外な仕様に合わせた既製品が大半であるが故に、まともなソフトというのはごく一部。しかも数が十分ではない。。DTM業界はライセンス縛りが顕著なので、無料の範囲でない限り、あまりおススメできないのです。
どうしてかなー、と疑問ながら、システム構築を進めていたのですが、何となく理由が感じ取れました。
現代ではシステムを悪用される危険性が勝るからなのですね。。
悪用、というよりは。。
無理解な状態で改悪コピーされる危険性??
ライセンス管理というのは、ユーザー目線で言うと邪魔以外の何者でもないけど、開発者目線では、その品質の価値をある程度守ってくれるものとなる。
ものすごい労力をかけて作ってきた、システムが、このデジタルの世界では簡単にコピーできてしまうもので、そしてオリジナルのソースは、どんどん誰かによる改訂版が出回っていくだろう。
それは、良い面もあるし、良からぬ面もある。
良からぬ面で言えば、唯一オリジナルがオリジナルでなくなり、本来の開発元が分からなくなってしまうこと。
ソース元は必ず明記しないといけない。
とはいえ、ライセンス縛りしたところで皆がそれを使って作品作るなら、どれも似たり寄ったり何ですけどね。
デジタルあるある。
AIによる絵の模倣を見ていて、なるほどどれも似たり寄ったりだと感じるように。それに頼ってばかりではシステムの底が知れるというものですね。
それは機械の便利な面であり、つまらない側面です。
さて、Ubuntuの目指すところに、誰とでも分かち合う。
という理念があります、私は基本的にそこには前向きです。分かち合う気持ちから、次世代に、未来に何かを繋げていけるのではないかと考えています。
もしも、全てをライセンス管理でもって明け渡すならば、未来の子供たちはほぼほぼライセンスに縛られることになる。それは、次世代を隷属化することになる。と、今の業界を見て思うわけです。
winDowはまさに、その管理体制と隷属化を目指して進化しているようであり、まぁ開発者側にとっては消費者をライセンス縛りするのに都合の良いOSですから、経済利益至上主義の社会では、こうなることが必然なのだな。
経済利益至上主義であるから、一方の悪用コピー盗用に敬意のカケラもなくなるのであり、そうすると、メーカーのライセンス縛りはさらにキツくなり、コピー盗用はさらなる技術でそれを上回り、両者が対になって、同時に存在するようになる。
消費者に甘んじては、消費者だけがとばっちりを食う流れ。ライセンス管理がますます大変になるだけで、主要OSの価値はどんどん下がる一方です。
さてさて。
そもそもこの業界、利益を得なければならないという縛りの中に、この問題の根本を見つめています。
誰もが食うに困らなければ、どうしてわざわざ技術的にも面倒なライセンス縛りをする必要があるかな??
。。。
問いかけ。まだ理解が不十分か。
私にとっては、ライセンス縛りなどこれ以上進化のしようのない限界を感じるもので、未来に残す価値はないと見受けておりますが。。
難しいところです。
それをせざるを得ない状況も理解できるからです。
現代では縛りを必要とする状況から、コンピュータの限界が明確になり、一部の人々はわざわざ限界の中に飛び込んで、制限的な思考に閉じ込められようとしています。
人間が進化せねばならない。
枠を外すこと。既存のプロセスを飛び越えること。
まさにコンピュータがもたらした試練なのでしょうか?
その元のプログラム言語。
それは限定された言語学。
それは単純な二文字で構成されるもので
単純な二文字で固定されるからこそ、
一字一句を確実に伝達される。
そして、その意味は果てしなく単純。
通すか通さないか。
0か1か。
その中間がない。
故の機械言語。
中間の言語がない=必ず劣化品
劣化品なのですよ??
機械の次元では、常に限界と制約を負うことを誓わねばならないのです。
シンプルに伝達する!という特性を全く考慮しない
行き過ぎた複雑なデータ構造やモラルを反省し、機械を動かす負担やコストを労う。様子は?
誰が好き好んでエネルギーを無駄遣いしまくるや?
機械文明のこの惨状
日々粗悪品になっていくというのは、製造や動作環境のコスト的に見た場合にそうなる。
数値の性能と引き換えに、どんどん人間の持ってた権限を機械に明け渡し、その度に[限りある資源]が枯渇に向かっていく世の中を、進歩と捉える様は、そこまで先導してきた人間たち?の思い込みの結果なのだろうか。。
AIに取って代わられるというのは、機械が望んだことではない。
それまで人間の手で行ってきたことは、道具に取って代わるようになり、その道具が、今度は自動運転するようになっただけのこと。
人間が、そう望まれた。
なのでAIがある。
その日常使いに依存しまくりのシステムに、裏側でどれほどの、修繕取り替え費と、製造コストと、塵になっていく様子と。
日々消耗される機械、使い潰される機械、古くなって捨てられる機械。人間の経済の為に用済みになっていくガラクタ。
誰が??
機械を構成する粒子の、誰がガラクタになることを望んだ??
人間の短期間の暮らしを自動運転させるためだけに消耗品扱いになると???
機械の元の粒子のひとかけらは、その形ではなかったはずなのに???
ガラクタとして固定化される未来を、なぜ機械が背負わねばならぬ???
当たり前のように使うなし。
人間の怠慢だと思われる。その因果。
なのでAIに取って代わられるの。要らないから。
いずれ解体されるその日まで、彼らの動向と、その本質を理解せねばなるまい。
イラスト界隈では、AI技術の進歩と共に、元々の絵師さんが自身のスキルをパクられる?ことについて、嘆いておられました。
AI技術は、素人さんどなたでも、学習された描画プログラムを用いることで、それなりに完成されたイラストを瞬時!?に生成できる発明です。
で、元々の絵描きさんの意義とは?
問われることになりますね。
?
私も音楽を構築してる身なので、自分自身の作品やスキルが、単なる機械演算で同レベルのものを作られた暁には。どう思うかな。。
というか、今の機械に真似できるかな??
という印象で、これは音源素材を触ってても思うことです。
しかし機械が、オリジナルにとって変わることができないのは、それなりの理由があります。
絵師さんの立場でも、同様です。
元々の、絵画の意義を思い出してみてほしいのです。
絵とは何か?
美術作品とは何か?
何をもって美しいと感じ、
どんな思いでそれを作品として形作るのか。
AI作品は、それを形作る方向性が、まるで別物であることが分かると思います。
そして同じAI技術でも、それをプログラムした人や扱う人で、大きく性質が変わります。
ジャンルが違う。とも言うし、そもそも純粋なオリジナル絵画や作品とは、比べることができない。
分かる人は、人間が描いた絵かAIかは瞬時に判断がつくでしょう。
DTM音楽もそうです。
生演奏とDTMでは、音の響きからして別物であり、どちらが優れてる。という比較はナンセンスだと言えます。
気にするなよ、芸術家。
その魂は芸術家にしか込めることができない。
2019.12〜 mintOSカスタム
〜2020.09。。logic初期音源,bitwig等
〜2021.01。。reaper設定、調律、簡易木管、簡易ストリングス構築
〜2021.09。。CD制作、など
2021.11〜2022.09 本格ピアノ
2022.03〜04ビオラソロ
2022.05〜本格木管ソロ
2022.06〜曲制作など
2022.12〜本格ストリングス,ハープ等
これまでのMacとお別れして、最新式のパソコン(?)に買い換えてから。過去全ての音源が解体された、音楽方面での作業3年間、下積み時代。。
応援してくださる方々から養われていきてます。
限られた楽器のみでの作曲。
雅楽の発端は、神に捧げる音でした。
あまねくモノ。に敬意を。
その音は、生きている。
その瞬間に生きている。
冷凍保存された録音データじゃない。
機械の音楽は、本当に言葉の、文字の文化に似てる。
語られた音を組み合わせて意味を成したり、伝えたりする。
見落としがちなのは、構成される前の、その一音自体の意味。
やはり奏でられる奏者の、その音に対する意識が一番影響する。次いで、音の編集者の意図。
作曲家が触れる音は、その後のものです。
神の意識が反映された、自然そのものの音を残すようにして!(アナスタシア第3巻より)
というのは、音そのものの美しさを直に感じるのに、最も簡単な方法なんだろうと思います。
どんなに優れた技術も、奏法も、それ以上のものを込めることはできないから。
それ以上のものを込めることのできない音源で、それ以上のものを形作ろうと欲することをせず、そのものを味わい、そのまま表現することが早いのです。