また一からやり直しなのか(o _ o。)

ああ。。。

また、失敗してしまうんだろうか…

 

そんな思いが、最近ある。

ずっと同じ人生を繰り返してる気がする。

納得の行く答えが見つかるまで、ずっと同じ人生を繰り返している。

ほむほむ?

 
 
皆もそんな感じしない?

死ぬ間際、次はこうしたい、ああして生きていたい。

そんな未練を残して、次世代の想念に引き継いでいって。

生まれたばかりの赤ん坊に、その未練が宿る。

そして、また一から人生をやり直していく。

 

あるべきは、強くてニューゲームなんだ。

記憶を、前世の学びを内包したまま、今生に活かす。

同じ人生を歩むにも、繰り返し繰り返しやり直すことで

もっともっと洗練されて、いつしか、目的に適った結末に辿り着くことができるようにと。

 

今、この人生を生きてるうちにも。

どこか、以前の「記憶」を内包しているみたいなんだ。

 

でなければ、こんな既視感を抱くはずがない。

「ああ、また失敗してしまうんだろうか…(o _ o。)」と。

 

これは、タイミリミットが迫ってるということでもある。

または、最後の最後になってようやく気づいた時の、今までのほほんと暮らしてた自分自身への情けなさ。

最後に一つ、自分だけ助かっても意味が無いということに、気づくのが遅すぎた。

いや、もう一個あるな。

目標を「未来の完成形」ばかりに囚われ、「かつて」できた小さなことを軽んじすぎた。

 

その経過が、今だ。

全く何にも成せてない。

ただ、記事やコラムが積み重なっただけ。

まーーーーーー^ったく何にも成せてない。

 
いっそ何も考えず、音楽だけを作ってたほうがマシだったくらいに。

 

この人生、何だったの??

また死ぬの?

無様に死ぬの?? ねぇ。。。?

 

この間違い。

俺に責任はないよ。

親にもないよ。

社会にもないよ。

誰の責任でもないよ。

ただ独りでに起こった。

 

自然現象の一貫。

その中で、適者生存というように。

適応したもののみが生き残る。

変化する環境を理解したもののみが生き残る。

 

 

人間社会は歪みまくって、正常な判断のできる人間が少ないのが事実。

世間の大多数に惑わされてはいけない。

誰しも持ってる野生的な感覚で、自らの最善を尽くすんだ。


おっとっと! 音(。◕ ∀ ◕。)ノ

音楽と共に生きるうちに、音に敏感になってしまいました。
ぉお! この世は物質と振動で成り立っておるぞ(‘ ‘*)!

 
同じ物質でも、振動で性質が変わることを知りました。
おおお、音楽とは空気の振動ではないか!
BGMで、その場の空間の雰囲気が変わるぞ!!

 
振動とは、そのモノが宿す情報とな(。0 _ 0。)ノ
「記憶」

故に、モノに込められたその成り立ち、ルーツに目が行くようになった。
古い記憶は、いいものだ。
時が経つに連れて、洗練されていく。
古い記憶が、今ここに残ってるということ事態が、素晴らしいことだと気づく。

新しい物は、その価値がまだ分からない。
が、自分が創りあげたい未来を見据えた時、それが必要かどうか。
想像することはたやすい(‘ ‘*)
樹だ、樹!

 
私の未来に残り続けるモノを築きあげよう(。0 _ 0。)ノ
それが私の真実の形となるのじゃ。

想い出、ここに1本の蒼氷と語らい始める。


緑の電池

現代や工夫。
ファンタジー言語で緑のマナ?

 
人とは、自身が思うよりも偉大な存在なのかもしれない。
誰もが、自分たちの可能性を過小評価していた。
いつも後になって分かるんだ。

これくらいなんてことないことだった…って。

 
例えば、電気エネルギーについてだ。
電力会社から配給される大多数の現状。

これ、実は自分たちの手で創り出せるものだと。
知ってる人は、そろそろ増えてくるか?
 
「生業」について、別所でブログ書きました。
http://goldenflower.jp/blog/2906

 
生きるのに必要なモノは、自分たちで作り上げていくことが原則。とある(o _ o。)
一人一人が創意工夫するから、様々なアイデアが生まれ、皆で共有することで、さらに画期的な発展へと繋がってゆく。こうして新しいアイデアを練るというのはとても楽しいことだ。だから生業として、楽しく挑戦し続けることができるんだ。

 

さて、緑の電池について。
電気エネルギーの成り立ちを自分なりにおさらいする。

  • 炭素

この3つ。この3つで、エネルギーの流れが産み出される。電池。
うーん、なんかどっかで書いたような言い回しだな…

これか?⇒ 三種の神器

 
人の体の成り立ちがそうですね(‘ ‘*)

炭素である肉体。
血はミネラルと水。

巡る巡るエネルギー。
これ、生命のマナの根幹。

 
もしや、電気というのは小さな粒粒想念として、生きているのだろうか?

 

では、本題(。◕ ∀ ◕。)ノ

 
この小さなつぶつぶ想念を循環させることでエネルギーが発生する仕組み。
実は、もう既に自作してて、手元にあるんですよね…

これ ⇒ 米のとぎ汁乳酸菌の作り方

 

何の因果かな?
もう、既にあるんですよ。。。
見えないエネルギーの発生装置が…手元に!!!

 
この瓶はね。
人の身体では、腸内にも置き換えられてさ。
中のつぶつぶ想念、ここでは善玉菌?が、食べ物に含まれるミネラル分や水、でんぷんというか炭素分をふにふにしてさ。ぶわーーーーってエネルギーの種を生みだして蓄積してってるわけ。

で、瓶の世界をあるべき形に調律することで、永遠の循環…いつまでも巡り続けるエネルギーの形を、自ら作り出すことができる。

こういうのもどっか過去に書いたな…(‘ ‘*)

これか?⇒ 想い出の一粒

 

こういうの、自分で創りあげるって言うより
既にある自然の産物から「見出す」といった方が正しいかもしれない。
素材は大切に扱うんだよね。音楽素材もね(笑)

 
そしたら、素材が活きるから。
瓶という世界の中で、素材が生きつづける。
だからこそ、いつまでも輝き続ける作品になる。

 
緑の電池。
じつは、既に目の前に在ったりするのでしょう。
正しく、そのものを理解すれば、自ずと、小さなつぶつぶさんが力になってくれるでしょう(‘ ‘*)

電源プラグの常識を拭い去って
自由な形で、つぶつぶさんの力を引き出して。


じぶんのはこ

じぶんのはこ

わたしのはこの子

 

皆は持ってる?

じぶんのはこ

 

じぶんのはこを育てるの

好きなように描いて、つみかさねていく

はこ。

 

箱庭のはこ。

じぶんの世界。

人生とは、じぶんの世界を育てること。

箱庭の移り変わる姿が、人生そのものになる。

生業。お仕事とはこういうものだと。気づいた・

箱庭をお店に模して、皆に味わってもらう。

作品のぷち評論会みたいなものだな。

自分の作ったもの、皆に影響を与えながら、皆のセカイに波及していく様。

同時に、皆のセカイの感覚が私自身に響く。

次はどうするか、いろいろ構想が広がってく感覚。


黒歴史

境遇の違いで、こうも生き残るための必須スキルは変わるものなんか。
http://b-chive.com/honorific53/

なんつー世界だ…
生きるには食べ物と寝る場所があれば…OK。
から、なんと歪な境遇に生きねばならなかったのか…

 

http://b-chive.com/honorific52/
それに、とんでもねー判断力必要だわ。面黒い歴史じゃ。
当人たちにとって身分の差と言葉遣いが死活問題だったのも納得できる。
身分の低いものを受け入れるというのが、どんなにスゴイことかも伺える。

 

そして、歴史的言葉遣いの末路。
http://b-chive.com/honorific54/

嘆かわしや(‘ ‘*)