美少女で在り続けるのに必要なこと

は〜はは、永遠の美少女の夢を見た。
そりゃまやかしじゃ(。◕ ∀ ◕。)ノ

 
美少女が美少女で在り続けるために、美少女ができる努力など何一つ無い。美少女は、自分の力で美少女になっているわけではない。

おおお、美しい娘。神の創造物。おお、かみよ。わお〜ん(‘ ‘*)

 
そのような星の下で、そのような世界に生きることを許されて、美少女として生まれた。が、美少女は老いる、矢が的を射る秒読みのように、必然的に。素敵なBBAと和る日が宿命付けられております(。◕ ∀ ◕。)ノ

おおお時間というものは確と残酷なものであることか。世にも絶せの美少女と詠われるも束の間、おおおおおおおシワが、おおおおおシミが。。。。おおお髪が、髭が、おおおおおおお。

おおおお怨念が、生霊がむきむき!って、化粧品とか美容業界が潤うパト楽酒となった。だから微小な存在である美少女ができる足掻きは何一つありませんて…

 

老いる、という項目について。
なぜオイルのか? そりゃ油が錆びてるような感じじゃ。油は、新しいうちは滑らかにする素敵なピヨちゃんだが、錆びるとぎちぎちになって滞る。おお、ぎっこんばったん。淀みが溜まって、シワができ、汚れがたまり、それを排出しようと削って、磨いて、すり減ってリニューアル。
 

油揚は、古くなったり、空気に触れたりして、錆びる。
でも、常に新鮮な水と共にあることで、水中の、人間の体内にあるそれは滞ること無く流れ続ける。

 
水が、古くなったり、乾燥すると、やはり油に酸素が触れて死ぬが。
まぁ、水なんだ。水。水が流れ続ける。緩やかな小川のように。さらさら。

水の精霊が、やや、水に含まれる微細な生き物たちの波動が、生きた湖や川に巡っていて。生き物は、生きた水を体内に循環させることで、いつでも新鮮な生命の胎動を宿すことができる。

死んだ水ではない…

 

頂きの丘から流れる、水源の水は、樹齢何千年もの樹の根が地下水を吸い上げて湧きでた。命の水を、今日の糧を、明日の新しい生命の源を、頂く。ごくごく(o _ o。)

そうして、美少女は明日も美少女のままで生きる。。。

 

なぜ?

美しい肌も、髪も、瞳も、うるおいも。新たな水を宿して活きてられるの。
ずっと以前から培われてきた大地の恩恵によって、もたらされる。

流れ続ける水が、美少女には必要不可欠、そこに樹がある、泉ちゃんです。

泉ちゃんと触れ合う、そこに水、に潜むたくさんの微細な精霊達、樹や花々の存在、鳥や蝶や虫たち、映る星の鏡。
其処に住む生き物が、泉ちゃんの水を通じて、繋がって、美少女の中に宇宙が宿る。

永遠の宇宙が、美少女そのものになる。宇宙は美しい(‘ ‘*)

 
 

とか結って何百年、何千年、時間の概念が望めば、おおおお我はもうBBAで十分じゃ。堪能しました。次の世代の子、あいどうぞ〜〜。

永い永い時の、樹の遠くなるほどの尺度で、美少女を楽しめて、次の世代の種を遺して、生命の時間は益々大きなリズムで、ゆっくり流れて。穏やかな変化の兆しを楽しむとされようです。水と生命の流れ続けることで、永遠の時を生きるのだから。星が巡るように。そこに新たな時代の美少女が生まれて、存在は永遠に生き続ける。
 

 

美は、遥かな時を生きて、共にあるという概念。自分一人では成し得ない事実。

水の史実と分断されちゃ、単体寿命は激減じゃな。賞味期限は何年とか。なんつーこった。…美少女の存在は、それ単体では存続しようのないムリゲ0なのでした(o _ o。)

 

今の社会システム自体が美少女を殺しにかかってるしな。
「我が世界で一番美しくないと気がすまない」的な。

まぁ、どうでもいい世界の話だ。

 

つまり今できることとしてはね。


欲望の対価

覚悟の足りないうちは、それなりの望みでしか適わない。
欲望を叶えるのに、釣り合う対価を負う気もなく、その分をさらに他から欲れば、さらなる矛盾が自己を苛む。

望みを叶えるには、相応の対価が必要。
対価を支払う覚悟ができて、初めて自分自身のモノになる。


積み重なる欲望の矛盾

欲望の正体、の続き。

もし、起点の欲望が叶えられない場合、それを叶えるための新たな欲を生み出してしまう事がある。

(起点の欲望は、自分にすら無自覚な場合が殆どだけど)

理想郷を創りたい。
その為に土地ほしい。
土地買うお金ほしい。

ならこーするか、あーするか。あの手この手。

都会に居た頃は、都心部の土地の相場で考えてたから。
うん千万とか、とんでもねー金額をどーするかばかり考えとった。

 
結果的には、ほんの幾らかで移り住むことが出来たが…
必要なのは、土地が余ってること、その伝手があれば済むだけであったと知ることだった。
でも、当時はお金で何とかするしか方法を知らなかったばかりに、随分な遠回りをしてしまった。

 
物理的には10年前でも実現できた。今のような状況。
気づくまでに大分掛かってしまった。その代わり、多くの経験を乗り切ったわけだけど。
音楽も、物語も、ブログも、サイトデザインも、その副産物。

大抵は何とかできたから良かった。多くの条件を揃えられた!
(そ~思えば、積み重なる欲望も悪いものでは無いと言える…)

 

 

一方で悲惨なのが、相手あっての欲望が絡んだ場合。。。

 
幸せになりたい。誰かに愛されたい。
ああ、その辺に私でも攻略可能なイケメン落ちてないかな?
王子さまのためだったら、私何でも頑張っちゃうのに!!!むきむき(。◕ ∀ ◕。)ノ

いつの間にか、自分が置き去りになってる…
幸せになりたいのに、その為に、相手の為にと積み重ねた欲望は、自分を追い込む結果を産んでいく。

結局は、人からよく思われたい。周りからどうだこうだとか、

人の思いや感じ方は、自分ではどうにもならんからな。
幸せを、人の如何に依存しては、ずっと矛盾を孕む欲望ばかり積み重ねてしまう。そして発狂。
残念でならない、相手の為に奉仕する立場で、生きつづけた結果である。

 
まぁ、それで相手が健全になれば、つまり相手が真に幸せを感じてくれたなら、自分もOKなんだろうけど。
中々にリスキーですね、このご時世では…個々があまりにも満たされない人間社会が大半だから。
社会が健全になればまったく問題ないのだろうけど、それ待ってたら死期が訪れて舞うわな。
多くの人が、叶わない欲望に対する不満や不平を抱えて、生きて、尽力して、苦しんで、他人に構ってる余裕なんて中々ないよ。

 
ま、いよいよの場合に、欲望を取り去る、自分を見つめなおす行為が必要になってくるんだと思う。
その為にその為にと、積み重ねてきた欲望矛盾を無視して無視して、本当の起点の思いに辿り着いた時、底を満たしてあげれば済むだけ。

 
簡単だな。そして、本人にはハードだろうな…

どーにもならん状況は、何もかもリセットするしかないすわ(。0 _ 0。)ノ


欲望の正体

欲望。

これがどういう影響をもたらすか、何となく理解できた。

まず起点の思いがある。「生きる」ための欲望。

「食べ物に困らないように」
「ずっと健康でいられるように」
「お金に困らないように」

 
こうしたい、そうなりたい、ああされたい。
自分の中に足りないものがあって、それをどうにか掴もうとする行動!
自分自身の力で達成できるのであれば、そのように行動すればいい。

 
しかし相手があっての欲望となると、人は可笑しな行動をしてしまうみたいだ。
「自分がして欲しい行動を、相手に対してする側に立つ」無意識に行動してしまうようだ。

人によく思われたい、がその典型。

愛されたかったり、必要とされたかったり、理解して欲しかったりすると。
足りない愛を、依存を、不十分な理解を相手に押し付けてしまう。
自分がそのつもりがなくても、相手を引きずってしまう。遠ざける行動をしてしまう。

 
逆に「相手にそうしたいと思う行動を、自分がされる側に立つ」ということもあり得る。

 
なるほど。なぜか。。
思いを叶える方法を自分自身で見つけられない場合は、誰かの存在を経由する必要があるからか。と推測。

 
自分に理解がない場合、相手を理解することは難しい。
ならば自分を理解せしめる行動を、相手から引き出す必要があるわけだ。

健全な医者でしか、患者を治せないように。
不健全な医者は、患者を診てるようで、実は自分が治療される側に立ってる場合が多い。

 

患者さん。
治して欲しい!と思って、医者に見せに行くと、大抵悪化する。医者を治す側に立つから。自覚在る?
今の世の中世知辛いから、こういうちぐはぐな状況はたくさん生まれてしまってると思う。

けれど、自分と相手と。確かな関係を築けていれば。いずれなるようになる。
不十分な理解によって、自分が反対の行動をしてしまってることに気づけたなら、其処から変わる。

因果応報で「やっとことは還る」から。

 
矛盾が解かれることで、想定以上の逆流の力が、これまでの望みを叶える方向に働くだろう。
今まで自分の中に足りなかったものが満たされて、自信を持って生きる力に変わる。

今後、自分が治す!という意志で医者の意見を聞きに行くと、治療を自分に活かすことができる。快復に向かっていくだろう。
 

 

欲望の正体は、矛盾。苛まれるもの。
足りない自分に、自分が何をしでかしてたのかに。
気づき、紐解かれることで、望みを叶える力に変わる。


石碑のことば

ぐるんぐるん、周りが大草原。
辺り一面を見渡せる小高い丘に、古代文字の刻まれたいくつもの岩たちが、何らかの意味を成して連なってる。

ここに来た時、草原に波のようなうねりを見た。畝はこう立てれば良いんだ。水や風が蛇行して行ったり来たりしながら進んでいく紋様がみえた。

溶岩の流れや、水の流れが、長年かけて描いた芸術なのかもしれない。

平地では、今いる地点が点のようにしか認識できないけれど、少し高いところに行けば麓全体が見渡せる。全体の中の、その地点の特徴、どのような流れの中に位置して、どういった役割を担ってるかが、何となく。小高い丘は周囲を見渡せる場所だった。

目の前の存在、延長線上の姿が遠くに映し出されて見えた。

流れが見えてくると、その先はどうなっていくのかも、想像の先に映し出されてくるから。

ここは一点にして時空間を周囲全体に見渡せる場所。中心にピラミッドのように天に続く光の道が編まれてる。

中心の石を巡ると、文字が至るところに刻まれてて、一周する毎に物語が連なって詠まれていく。

歴史を感じる…

という難しい話をすぱーんと横においといて(。◕ ∀ ◕。)ノ

石の上は気持ちよかったです。
虫たちの声、鳥たち、風の映える音、石に響く、お日様の光に温められた石は暖かく、うとうと。

いつまでもここに居れる。
全部が開けてるから、心地よいのです。

夢の中で、石たちの言葉を聞くのかな。
感覚が、心地よいの感覚が、恩恵なのだと気づくでした。

あれこれ考えるのが勿体無かった。
この場所は心地よいのです。

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