最も悲しいのはコトバが理解されないこと

まるで風の音のよう。
そのコトバに感じ入るものがどれほどか。

土に触れる以前、食べ物は食材という感覚しかなかった。
食べて美味しい、そこそこ。な感覚でしかなかった。
食べ物の背後にある光景に、ずっと気付かなかった。

なんということだ!

もし自分で食べ物を育てる概念があれば、もっと多くのことに気づけた。

食べ物は常に!
人にメッセージをくれている!
彼らの育った光景を見せて「どう感じるか?」ずっと問いかけている!

目の前にある食事が、どのようにしてどのような経路を辿って口にできたのか。

地産地消の良い所は、そのコトバが感じやすくなるところだ。
さすれば味覚はダイレクトに伝わり、イメージが湧き、感情や自分なりのアイデアが浮かびやすい。

もし感覚が鈍ってしまってたら、何を食べてるか分からなくなってしまうものだ。

最も悲しいのは、コトバが理解されないこと。

そこに生きた命は見えるのか。
食べ物の見せるどのような光景が今の自分を形作っているのものなのかは。


食べ物が見せる光景

先日、鹿さんのお肉を食べた。
一緒に柿も食べた。お米も食べた。
どれも、住んでる土地で育ったもの。
実際に近くの田んぼや柿畑、山林を見てきてるから、これらを食した時に、育まれる土地の情景が思い起こされるのです。

美味しさを味わうと同時に、世界観を感じる。食べ物からのコトバ。

鹿肉に柚子の風味が美味しければ
、自給自足の土地に、新たに柚子が生えることになります。種は食べたあとに出る。

また、このようなメッセージもしかり。
柿畑、ずっと柿畑、たくさんの柿。それ以外の果物は???

ずずーん(o _ o。)

うん、いろんな種の樹木が植わってたほうがいい。その方がずっといい!

その土地の食べ物で過ごしてると、素晴らしいこと、美味しいとこ、足りない部分、食を通して伝わってきて、色んなアイデアをくれます。

香りを感じ、味わって、育まれる光景に浸り、喜びと、思い思いの願望をその場所に付け加える。


鹿さんのお肉を頂いてます

近所の方に分けて頂いた鹿肉。
山の緑々しい風味が宿って美味しい。

近くの生きてた鹿さんを獲って、食べやすく捌いて、味噌?に漬け込んだの、生で頂いた。生肉ですよ生肉!

曰く(‘ ‘*)

美味しいだろ?
この辺の草を食べて育ってるから臭みがない、そこらのとは全く違うぞ?

あのね、鹿さんが生きてた頃の光景が、ふんわり浮かび上がります。緑を美味しく食べてたの、鹿さん。美味しい…その鹿さんの人生をぶすっ!!!!って終わらせて、私の糧になったの。

ぁあ、私の食べた鹿さんの命で、今日の一日が動くのだな。
そんな思いなのです。
貴重な一日、鹿さんから頂いた活動エネルギー、無駄にはできない思いなのです。

鹿さんは、もっと緑を食べたかった。うむ、その悲願を受け継いで、今日一日とまた、緑を植える日々となる。 

鹿さんを食べて鹿さんの願いを叶えるよう動く。何となく。


一日一日の記憶は永遠に

新しい暮らしを始めてから一日として同じ日がない。確実に積み重っていくものがあります。
だから、その日にあった事を鮮明に思い出せる。
そのとき、何を思ってその作業をしたか。

土地の状態が日々変わる毎に、記憶の層が蓄積されていく。

眠ってる時に見る夢もそうだけど、記憶とは、ある特定のきっかけで、ふと思い起こされることが多い。
秋の匂いを嗅げば、その季節の印象的な出来事が…音楽を聴けば、その曲が流行ってた頃の想い出が…
特定の何かが繋がって一緒に思い起こされる。それが記憶。

自分の世界をもって、自分の描きたいイメージに向かって日々進んでるとき、その工程一つ一つに想い出が宿るものだ。

今日は草刈りがきつい。
この日は調子がいい、すんなり進む。
草地が綺麗になったら土を耕していく。
そして種を蒔く。芽が出て地表に顔を出し、冬を越してその種は成長する。

雨の日はのんびり本を読んだり、そんな日も、あの子たちは日に日に大きくなっていった。

春、穂が付き始め、新たな作物の種を蒔く。
どんぐりの木も植えよう。

木は年を追う毎に大きく成長し、落ち葉を散らして土を年々豊かにしてくれる。
一年ものの作物は実り、次の種ができる。数年後には木の実が、木は何十年かを経て大樹になり、さらなる恩恵をもたらす。

そのとき、きっと次の世代の子どもたちが居て、これまで育ててきた世界を受け継いで、子どもたちの思い思いの楽園を築いていくだろう。
大きな樹木がいくつもの種にわたって伸び、世界は色んな種類の実を成して、美しい鳥達や動物たちを呼ぶかもしれない。

現代人の一生では追いつかないほど気の遠くなる話だけど、思い描いた夢に向かって確実に進んでいる。
始まりの時から一日として同じ日がない。

そのことを、実際に目の前にして感じ取れる。
だから振り返ったときに、その記憶の一つ一つが鮮明に思い出される。

あのときはこうだったね。
あんなふうに想いながら植えていたね。
今、立派に実をつけたよ。ほら。。。

人の一生は、きっとそういうものだと思う。
一日一日が新しく、未来の実現に向かって少しずつ進んでいってる。
だから日々喜びがあり、人生が充実して行くのだろうと。

私の一生は、共にある世界そのものが記憶する。
振り返れば、いつでも思い出せる。


用意された選択肢以外に目を向けよう

普通に生きてたら、なぜ望む人生がやってこないのか。
原因はとってもシンプルだった。

世界中のあらゆることから自分で探し出すこと(望みに目を向けること)を忘れてしまってるからだ。

気づけば与えられた選択肢に甘んじてばかり…とか、あかん。最初から与えられた選択肢しか見ないで選ぶというのは、自分で人生を決めているようで、実は誰かさんのレールに沿って動かされてるに過ぎない。

世の中便利になっている。
お金を出せば何でも手に入る、という風潮。
だけどもそれは錯覚で、並んでる商品棚の中からしかモノを選ぶことができない状態。ずっと既製品に慣れていくと、自分で一から創り上げることを忘れてしまうの…
社会は、誰かの作ったものに縛られて生きていかなくちゃならなくなった。

食べ物は、コンビニやスーパーで買うしか選択肢がなければ、保存料ばかりの機械的な食品がほとんど。。でも現実には自分で野菜や穀物を育てることができて、そうしてできた実はすごく美味しいし、身体を元気にしてくれる。
まぁ、最初慣れないうちは大変なんだけどね…

毎日同じような選択肢で生きてると、感覚が鈍ってくるの。
日常に少し、冒険を取り入れてみるといいの。
いつもと違う道を通ってみる、いつもは読まない本を読む、違った発見がある。
すると、日常の選択肢が少し増えてくる。そんな日々を積み重ねる。。自分で知らない道を開拓していくの。大変かもだけど、そうして進んできた経験は全てが自分の糧になってく。全く違った人生を歩めるようになる。

自分から、少しずつ望んだ未来に近づいてく!