優しさという名の偽りは、本音に変えて

反省点は3つある。

一つは、相手の視点、存在を知り尽くそうとまで向き合わなかったこと。
一つは、自分の描きたいフィールドばかりに囚われ、肝心の登場人物の感覚を蔑ろにしたこと。
最後は、優しさの意味を履き違えたこと。

 
上の二つは、気づけばいい。
だが最後の一つは、致命的だ。

気を使うというニュアンスが、良くない結果をもたらすパターンだった。
それは偽りの優しさ、表層を取り繕うだけの、その場限りの嘘は、長続きしない。

いずれ取り返しが来る。
その反動は、その人自身が経験する精算だ。

 
気を使わない。
何時いかなるときも本音。本音で接することがお互いのためだ。
たとえぶつかることになろうとも、醜態を晒すことになろうとも、本音。

そこから、分かり合う日が来るであろう。

 

真の優しさは、本音からくる心遣い。
それこそが永遠を約束するであろう。


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