存在するものは、誰かにとって必要だから存在している

私の世界に必要ない・害悪だからといって
それを100%否定できる権利はない。

存在するものは、誰かにとって必要だから存在している。
何かを否定したくとも、誰かにとって必要とされてる事実を無碍にしてはならない。
そのままでは話し合いの余地を見いだせなくなるから。

 
否定の想いも元々は
「こうしたほうがもっと良くなるのに…」
個人的なプラスの願い、悪いものではない。

その訴え。愛情を持って、心から伝えられることなのも。
心を込めて、相手を想って綴ったメッセージは、身体の芯に響いてくる。きちんと伝えられる。

願いは聞き届けられる。


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