死に場所、産まれる場所

以前、お誕生日の話をしました。

続・この日この時この場所で

 
これと同じように、記憶、その他の遺産を来世に相続するためには
死に場所、も重要ではないかと思ったのでした。

 

まどか☆マギカの冒頭の部分があるんだ。
このシーン、なぜか深層意識の中で、始まりを予感させる何かを感じた。
http://www.anitube.se/video/57350/Mahou-Shoujo-Madoka-Magika-01
(海外の無料動画サイトに飛ぶ、閲覧は自己責任)

 
自分はこの日、病院に出向いていた。
おじいちゃんが亡くなるという知らせを受けて、病院に出向いた。

深夜、誰もいない病院の廊下。蛍光灯の薄暗い灯り、静寂が辺りを包む。
そして、廊下に触れる自分の足音だけが、不自然に耳に響く。

この音。まどか☆マギカの冒頭の部分というのは、この音とそっくりだ!

 
そういえば、近代になって、人の命は病院で生まれることが多くなった。
死ぬ時も一緒、病院で息を引き取ることが多くなった。
生まれる場所も、死ぬ場所も、病院!? そんなふうに思わせられてる。

本来違う! 自然の中で生まれ、自然の中で息を引き取る! 全ての存在に見守られながら、様々な命の気配を感じながら、なのに…
今はなぜか、病室の白い壁、隔離された場所、不自然な静寂、聞こえるのは自分の足音だけ、に曲げられてるではないか!

孤独を感じるのは、まさに病室の中で、自分の息遣いしか感じられないからだ。
死も、生の瞬間も、深層意識の中で、誰も誰も、自分を迎えてくれる人が居ない!

孤独に死ぬんだ。病室で。
孤独に産まれるんだ。病室で。

その深層意識で人生を生きる時、人は孤独を何よりも恐れるようになる。
結果、孤独である自らを誰よりも不幸だと嘆き悲しむ。

これでは、この世を満足に生きることが出来ないではないか!
繋がりの中でこそ、完全な自分として活きられるというのに。
繋がりを絶たれては人など不完全で無駄死にだ。

近代の世はおかしな世界観だ。

死に場所は自然の土。海。
次に産まれる所もそこ。

命は繋がりの中で循環する。
繋がりの中で、自らの遺志が受け継がれる


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