十二夜を詠みあげた感想

シェイクスピアの戯曲、第十二晩目の出来事。
舞台の上で演じることを想定した、台本。脚本ともいうのでしょうか?

ほぼ台詞のみで物語が表現され、台詞ひとつひとつ、独特の言い回しが耳に残ります。
ユニークな掛け合いの連続で見えてくる登場人物の人柄、その目的、人間関係。

物語の中枢は、人間関係を元に構成されていて
その心の、意志のぶつかり合いが歪を、小さな物語の種を生み、
それらの物語一つ一つが絡み合って解け、大舞台の幕が閉じられる。

まるでパズルのようだとも思いました。

そうだ、物語はパズル。
登場人物はピースの欠片で、意志がその形を示し、
然るべき場所に辿り着くよう、舞台が動こうとする。

意志のぶつかり合い、ピースとピースの欠片がぶつかることで、お互いに生まれる動き。
欠片は役目を与えられた。例えピースが合わなくても、それ自体が物語を生む。

 
いがみ合いはスムーズな進行の足かせとなるが、
白紙のページに傷として残ることで、舞台にコード、音を響かせる。

その音は、物語の裏に隠されたメッセージを暗喩する。
ささやかな、ささやかな。

 

まさかと思った。

物語は、情景描写がなくとも物語になる・・・
役者たちが登場人物に成り代わってその台詞を詠み上げることで
かくも表現すべき舞台背景を演出することが出来るのか?!

 
彼の物語は、最初に登場人物ありき・・・
そのピースの欠片を、時の運命が彼らを動かし、一枚の絵画を築きあげるのだ。

 
Finaleは、見事な大団円であった。
運命の輪が、正しい位置に収まったのだった。

 

ここまでの物語の経緯に、人々の葛藤を思い、音楽を感じ、時間の流れを共にする。
戯曲が戯曲である所以は、此処にもあるのか、と思った。

曲作りも似たような感じだ(‘ ‘*)


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