学びに時間割は必要ない
今日、すごく懐かしい夢を見まして(‘ ‘*)
中学の頃の数学の先生が、教室に居たのですよ。
数学の授業なのに、その日は自習でして。
そして、自主勉強についてこう言ってたのです。
「今は確率の%についてを学ぶ時間でしょ? パソコンやってたらダメですよ!」
って云われたんですが。。
いやいや、パソコン通じて確率はおろか数字の物語や意味まで汲めるんですけど…
確率だけ学ぶとか1瞬で終わっちゃうじゃないですか〜!
て思ったんですよ。そしたら
あぁ、そうなのか!!ってその時気づいたんです。
何がって、時間割がです。
そもそも、勉強とか何かを学ぶときに時間割は必要ないものだと。
そのとき気づいたんですよ・・・
だって、確率について%とか知ってるのに。
その特定の物事について知識はあるのに。
それ意外の勉強はしたらいけない、
表面的に関係ないことするなとか言うんですよ?
全ては繋がってる、歴史から確率だって統計だって学べるのに、
薄っぺらい確率%の計算しか認めないわけですよ。
暇じゃないですか、そんなの。
発想のアイデアも奪われる、確率は%って固定してしまったら
他の部分での応用効かなくなりますからね。
時間割は、作業効率を上げるためにあるのです。
学ぶ効率は逆に削がれる。発想が固定化されるから、時間割は思考回路を奪う。
本来、教師の提示する時間割だけが学びのガイドラインじゃない。
自然の生き方を通してなら、
自分自身が色々なテーマを多方面に渡って学ぶことができるから。
学校は、「多くの視点から学ぶ」という機会を奪っていた。
学校に行ったらバカになるのか!!?
そういうこと考えて抗議の姿勢見せてたら、
その数学の教師さん。微妙に申し訳なさそうな顔して
「確率について√の導きってご存知?」
みたいなこと言ってきまして
√の確率ってなんだろう…(‘ ‘*)
「例えば、3pを300時間としますね。」
そして、すらすらと裏紙に講義してくれる(‘ ‘*)
「普通にしてたら、3pは300時間で失くなってしまいますが。
ここである√を通すと、変換されて。。」
。。。
そこで夢が途切れましたよ。
でも、何か上の話、既に知ってる話だったような。。。
確率は√を通すと変換される。どこぞで知ってる話だったような。。。
コメントを残す