あの子の言葉

あの子の凄いところは、人の話を最後まで聞いて全部を受け止めるトコだと思う。
この世にはたくさんのお話がありふれてるけど、そのどれをも見て聞いて吸収できることは、あまりに凄いことだと思う。そして、子供の頃はそれは皆出来たことだとも思います。

あの子は、ただ黙って、聞いていて。
あらゆることに、凄いなァって。ずっと心に響かせるみたいです。
その姿勢、自分には無い輝きだと感じる。

 
人間、何かひとつ絶対的なものを知ると、それに矛盾するいかなるものも聞き入れなくなるですよね。
それは自分の世界を守るためだったりすると思うのですが、コレが厄介なものです。

私もなんか昔から、人の話は聞くけど受け止めることを容易にしません。
常に、今云った言葉は本当にそうなのか、間違ってるんじゃないかと疑いの線から聞いて掛かっています。
これは自分の世界観から、相手側のお話を聞くという事。
自分自身に対して、絶対に間違わない最善の策であり、同時に相手に対する理解度を本来の形から激減させます。

 
得られるものが少なくなります……
 

 

私は今日、アロマの専門店に行って来て、そこの店員さんと夢について語りました。
あの子に対していった言葉「夢って云うのは強く願えば必ず叶うもの」だって云う事。
私は、夢はなんですかって聞かれました。

私の夢は。。。為すべきことをする為に今を生きること。
とかいうふうには答えられなかったので、「華の唄人になるのですー。」とか結ってしまった。とりあえず、通過点に其処の答えを選んでしまった…

間違いの素ですね。こう返される。

「じゃあ此処にいるのはどうして? ”東京”に行って、TV局にそれに必要なことを聴きに行かなくちゃ」

 
本気なんだろうか。一瞬にでも、自分に対する引っ掛かりを感じる。

 
「東京に住もうとは思えないです」

「住んでみたら良さが分かるものよ。何もしないうちに理由を付けて逃げるのは駄目」

「一回だけ、それを本気で考えたことがありました。でも周り皆反対してたから辞めました」

「それはあなたが本気で願ってなかったからよ。本当にそれを願えば、宇宙のあらゆるものが味方になってくれる。そういうものなのよ」

 
…うちの受け答えは、「否定する言葉」を返事で返し、そして「逆説」を返事で返してる。

私は既に、「夢という曖昧なものを信じて、がむしゃらに進むことの愚かさ」を知っていたので、このように返してしまったものです。「夢を信じれば必ず叶う。」は、踏み足を間違えればとんでもない末路を迎えてしまうことの恐ろしさを、脳裏に過ぎらせたのでした。

 
でも、あの子はきっと最後までその言葉を信じるはず。決して見失うことの無い。
だから私は、あの子が将来とても立派な道を歩むのを確信してます。
この時だけ、それを確かに信じることが出来るものです。


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